日本歴史地名大系 「神徳院跡」の解説
神徳院跡
しんとくいんあと
性空開基以来天台別院として本寺をもっていなかったが、寛文五年(一六六五)将軍徳川家綱の命により諸山の本末を定め、諸寺の宗派を明らかにすることが決められたため、同年八月東叡山御門跡輪王寺宮一品親王尊敬の直末となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
性空開基以来天台別院として本寺をもっていなかったが、寛文五年(一六六五)将軍徳川家綱の命により諸山の本末を定め、諸寺の宗派を明らかにすることが決められたため、同年八月東叡山御門跡輪王寺宮一品親王尊敬の直末となった。
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