日本歴史地名大系 「禅通寺跡」の解説 禅通寺跡ぜんつうじあと 大阪府:堺市堺戎寺町禅通寺跡[現在地名]堺市戎之町東五丁土居(どい)川(東堀)の西、花田口(はなだぐち)筋を挟んで東本願寺堺南御坊(さかいみなみごぼう)に対していたが、明治三九年(一九〇六)少林(しようりん)寺に合併され廃寺となった。臨済宗京都大徳寺末、山号長松山、本尊釈迦如来。嘉暦年間(一三二六―二九)西園寺諒空らが檀越となって建立、大聖禅師宗然を開基とした(堺鑑・和泉名所図会)。宗然は京都建仁寺二八世、同南禅寺一八世を歴任(本朝高僧伝)、当寺も当初は建仁寺塔頭天潤院の末寺であった。天文八年(一五三九)のちに大徳寺九九世となる春林宗俶が住職となったが、同二二年罹災、春林の尽力で方丈・仏殿などを造営復興し(堺鑑)、春林を中興開山とした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by