私部郷
きさいべごう
「和名抄」東急本は「私部」、高山寺本は和部と記し、ともに訓を欠く。郷名は「日本書紀」敏達天皇六年条に設定されたとみえる私部に由来すると考えられ、「キサキベ」「キサイチベ」とよんだ可能性もある。「続日本後紀」承和三年(八三六)一一月二八日条に「因幡国八上郡人私部栗足女」が男女各二人の四つ子を産み、養育のために正税三〇〇束と乳母一人分の食糧を給されたことが記される。
私部郷
きさいべごう
「和名抄」東急本・高山寺本ともに訓を欠く。「日本地理志料」は「岐佐岐倍」と訓を付す。皇后の部に由来するものであろうか。遺称地・比定地とも不明だが、春日部屯倉が安閑天皇の皇妃春日山田皇女の屯倉であり、その遺称地が現熊本市春日町・春日一―五丁目に求められるところから、当郷もまたこの地に比定する説がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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