日本歴史地名大系 「稲荷小路」の解説
稲荷小路
いなりこうじ
北は本町二丁目、南は最上川までの南北に延びる両側町。小路名は地内に稲荷神社があることに由来する。本町から河岸に通じる河岸八町の一つで、船宿があり丁持・宿継人足などが多数居住した。明暦二年(一六五六)の酒田町絵図(大泉叢誌)に小路名がみえ、長さ五九間余・幅四間余、屋敷二七軒、ほかに川端に屋敷八軒。天和三年(一六八三)の酒田町割家数人数書上(鶏肋編)によると町域は一町、家数八九・人数四二四。文化六年(一八〇九)には家数六九(「市正色々記」阿部正己資料)、明治三年(一八七〇)の家数六〇、ほかに稲荷神社地、修験一(「総家数並寺院畝数調」野附文書)。元禄六年(一六九三)には参勤交代の御用船船頭を二二人が勤めた(「御召船之覚」伊東文書)。
稲荷小路
いなりこうじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報