日本歴史地名大系 「穂北城跡」の解説 穂北城跡ほきたじようあと 宮崎県:西都市穂北村穂北城跡[現在地名]西都市穂北茶臼原(ちやうすばる)台地南縁に位置する山城跡。城域北側は堀で台地から区切られる。北方はこの堀や堀の東西両端に設けられた縦堀で、北以外の三方は自然地形による急斜面を利用して防御されていた。「日向記」によれば永禄(一五五八―七〇)頃当城は伊東氏四十八城の一つに数えられ、城主は長倉藤七であった。天正五年(一五七七)伊東義祐は島津氏に敗れ、嫡子義益の夫人の縁につながる豊後の大友宗麟を頼って敗走する。この折当城城主長倉洞雲斎の嫡子藤七郎が義祐一行を花園で迎えた。当城に一宿した一行はその後米良(めら)山に向かったという(「日向記」など)。また義祐を追って来た島津軍は当城を取籠めようとしたが、城内衆が防戦している(「長谷場越前自記」旧記雑録)。その後当城は島津方の城となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 土木工事会社での一般事務 株式会社錦興業 長野県 上田市 月給18万円~23万円 正社員 相鉄線星川駅徒歩1分 耳鼻科診療所診療助手、事務、看護師 たかはし耳鼻科 神奈川県 横浜市 時給1,300円~2,000円 正社員 / アルバイト・パート Sponserd by