近江国滋賀郡穴太(穴生とも書く。現,大津市)に住んだ石工(いしく)。穴生衆ともいう。城の石垣を築く技術に優れ,安土城,名古屋城,駿府城,江戸城などの石垣造営に活躍した。《駒井日記》(1560)に豊臣秀吉・秀次に仕える穴生について記されているのが早い記録である。穴生の一族である戸波家は,1624年(寛永1)に熊本の細川家に儀大夫が仕えたのをはじめ,加賀,津山,福岡の諸藩に仕えており,穴生の技術が諸国に広まったことが推測されよう。江戸幕府にも御材木石奉行の配下に穴生頭がおり,石工が所属した。石垣,石橋,石樋などの製作に従事したが,とくに石垣は穴生積み,穴生築(つき)と呼ばれて名高い。
執筆者:西 和夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…丹生川沿いの谷。古くは穴生,穴太,阿那宇,加名生とも書かれた。《吉水神社文書》の建武1年(1334)2月付坊領証文紛失状に〈宇智郡西穴生荘〉と荘園名で見えるほか,この時期の幾つかの史料に所見があるが,とくに南北朝の抗争に関係して,賀名生が南朝の最重要拠点となったことから,その名がこの時期の史料に頻出するようになる。…
…市北部の堅田は,琵琶湖の水運と漁業の特権をもっていた堅田衆の本拠地で,湖中に浮御堂(うきみどう)があり,〈堅田の落雁(らくがん)〉は近江八景の一つに数えられている。比叡山(848m)東麓の坂本は延暦寺の門前町で里坊(さとぼう)が多く,その南の穴太(あのう)は城郭の石垣づくりで知られる穴太(穴生)衆の出身地である。大津の旧市街の南東に連なる膳所は本多氏6万石の城下町で,現在も武家屋敷や古い町並みが残っている。…
…ただし東日本では,適当な石材を得がたいという自然条件から土塁のままであった城が多く,遠く伊豆から石材を運んで築いた江戸城などは例外的である。各地の築城では,安土城の石垣普請に携わった近江穴太(あのう)(現,大津市穴太付近)の石工が活躍し,穴生(あのう)が石垣師の代名詞となったほどである。また彼らに加え,石材の産地である播磨から瀬戸内海へかけての石工たちの活躍もあったに違いない。…
※「穴生」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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