中巌円月(読み)チュウガンエンゲツ

デジタル大辞泉 「中巌円月」の意味・読み・例文・類語

ちゅうがん‐えんげつ〔‐ヱンゲツ〕【中巌円月】

[1300~1375]南北朝時代臨済宗の僧。相模の人。入元し、東陽徳輝の法をいだ。帰朝後、建長寺建仁寺などに歴住。朱子学詩文にすぐれ、五山文学代表者一人。著「語録」「東海一漚いちおう集」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中巌円月」の意味・わかりやすい解説

中巌円月
ちゅうがんえんげつ
(1300―1375)

南北朝時代から室町初期の臨済(りんざい)宗の僧。初名は至道。中正子、東海一漚子(いちおうし)と別称した。鎌倉の人。寿福寺で出家し、円覚(えんがく)寺の東明慧日(とうみょうえにち)(1272―1340)、永平寺の義雲(ぎうん)(1253―1333)、南禅寺虎関師錬(こかんしれん)らに歴参。1325年(正中2)入元、百丈山の東陽徳輝(とうようとっき)(生没年不詳)に師事し嗣法(しほう)した。1332年(正慶1・元弘2)帰国、1339年(暦応2・延元4)上野(こうずけ)に吉祥寺(きちじょうじ)を開創。万寿寺、建仁寺、等持寺、建長寺などに歴住し、1375年正月8日示寂。仏種慧済(ぶっしゅえさい)禅師と諡(おくりな)される。初期の代表的五山文学僧で、語録のほかに『東海一漚集』『中正子』『藤陰瑣細(とういんささい)集』『蒲室集註解(ぼしつしゅうちゅうかい)』などの詩文集、著述がある。

[石川力山 2017年9月19日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「中巌円月」の意味・わかりやすい解説

中巌円月 (ちゅうがんえんげつ)
生没年:1300-75(正安2-天授1・永和1)

南北朝期の臨済宗の僧。相模(神奈川県)の生れ。中正子とも称し,俗姓は土屋氏。諡号(しごう)は仏種慧済禅師。はじめ密教を学び,ついで寿福寺の嶮崖(けんがい)巧安,円覚寺の来朝僧東明慧日に参じ,さらに来朝僧霊山(りんざん)道隠や虎関師錬に師事した。一方14歳ころから詩文を作り,また中国語の修得につとめた。1324年(正中1)入元し,古林清茂(くりんせいむ),東陽徳輝(とうようてひ)などに参じ,在元8年を経て32年(元弘2)帰国した。大友貞宗・氏泰親子の帰依を受け,上野(群馬県)利根荘に創建された吉祥寺の開山に迎えられ,このとき東陽徳輝(大慧派)の法を継ぐことを表明している。相模,豊後,京都などに足跡を残し,建仁寺に退居した。同寺には中巌の木像がある。語録のほかに詩文集《東海一漚(とうかいいちおう)集》《東海一漚集余滴》,随筆集として《文明軒雑談》などがあり,五山文学発展の基を築いた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中巌円月」の意味・わかりやすい解説

中巌円月
ちゅうがんえんげつ

[生]正安2(1300).相模
[没]文中4=応安8(1375).1.8. 京都
南北朝時代の臨済宗の僧。別に中正叟と称した。幼い頃から密教を学んだが,来朝僧の東明慧日 (とうめいえにち) から学んで曹洞宗に帰した。正中2 (1325) 年入元して古林清茂 (くりんせいむ) らに学び,臨済宗大慧 (だいえ) 派の東陽徳輝の法を継いで元弘2=正慶1 (32) 年帰国。万壽 (相模,豊後,京都) ,建仁,建長諸寺に歴住し,近江竜興寺を開き,建仁寺に退居した。五山学芸の第一人者として,のちの五山文学に大きな影響を与えた。仏種慧済禅師と諡され,語録のほかに詩文集『東海一おう集』がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「中巌円月」の解説

中巌円月
ちゅうがんえんげつ

1300.1.6~75.1.8

鎌倉後期~南北朝期の禅僧。別号は東海一漚子(いちおうし)など。俗姓土屋氏。鎌倉生れ。16歳で曹洞宗宏智派の東明慧日(とうみょうえにち)の会下(えげ)に入り,1325年(正中2)渡元。東陽徳輝に参禅し,32年(元弘2)帰国。翌年,「原民」「原僧」を著して後醍醐天皇に経綸を進言。39年(暦応2・延元4)上野国利根荘吉祥寺建立に際し臨済宗大慧派の東陽徳輝の法を嗣ぐことを表明,以後宏智派の迫害を受けた。42年(康永元・興国3)再び渡元を企てたがはたせなかった。諡号は仏種慧済禅師。漢詩文集「東海一漚集」,自記年譜「中巌和尚自歴譜」。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中巌円月」の解説

中巌円月 ちゅうがん-えんげつ

1300-1375 鎌倉-南北朝時代の僧。
正安(しょうあん)2年1月6日生まれ。曹洞宗(そうとうしゅう)宏智(わんし)派の東明慧日(とうみょう-えにち)に師事。元(げん)(中国)でまなんだあと,上野(こうずけ)(群馬県)吉祥(きちじょう)寺の開山(かいさん)となり,臨済宗(りんざいしゅう)大慧派の東陽徳輝(てひ)の法をつぐ。のち京都万寿寺,鎌倉建長寺などの住持。五山文学を代表するひとり。応安8=文中4年1月8日死去。76歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。俗姓は土屋。諡号(しごう)は仏種慧済禅師。著作に「東海一漚集」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

旺文社日本史事典 三訂版 「中巌円月」の解説

中巌円月
ちゅうがんえんげつ

1300〜75
南北朝時代の臨済宗の僧。五山文学者
相模(神奈川県)の人。博学広才で,その理想主義的気質は時世に受け入れられなかったが,禅林学問に大いに貢献した。虎関師錬 (こかんしれん) に愛され,義堂周信は彼の影響をうけた。詩文集に『東海一漚 (とうかいいちおう) 集』5巻など。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「中巌円月」の解説

中巌円月 (ちゅうがんえんげつ)

生年月日:1300年1月6日
鎌倉時代後期;南北朝時代の臨済宗の僧
1375年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の中巌円月の言及

【漢詩文】より

…【川口 久雄】
【中世】
 中世の漢文学の主流は,何といっても五山禅僧の作品である。鎌倉時代の作者には虎関師錬(こかんしれん),雪村友梅(せつそんゆうばい),中巌円月(ちゆうがんえんげつ)がある。虎関師錬は一山一寧(いつさんいちねい)より学んだので,やや古風な作風を有するが,雪村は在元22年の長きにわたり,中国人の文脈句法を体得した人であり,中巌円月は在元の期間は雪村友梅ほど長くないが,その文脈句法の体得は雪村以上で,とくに四六文の学習に力を注いだ人である。…

※「中巌円月」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android