立川清登(読み)タチカワ スミト

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「立川清登」の解説

立川 清登
タチカワ スミト


職業
声楽家

専門
バリトン

肩書
洗足学園大学客員教授,二期会理事

本名
立川 澄人

生年月日
昭和4年 2月15日

出生地
大分県 大分市

学歴
東京芸術大学声楽科〔昭和29年〕卒

経歴
芸大在学中の昭和28年にオペラ椿姫」のジェルモン役でデビュー。卒業後、30年二期会に入会、以後中心歌手(バリトン)として次々に主役を演じた。主なレパートリーに「魔笛」のパパゲーノ、「セビリヤの理髪師」のフィガロなど。35年からNHKテレビの長寿番組「音楽をどうぞ」の司会を務めるなど、テレビ、ラジオにも活躍の場を広げ、40年前後、紅白歌合戦にも数回出場。クラシック、民謡、流行歌と幅広いレパートリーをこなし、また「王様と私」などミュージカルにも活躍、その気取らない人柄茶の間の人気を呼んだ。洗足学園大学客員教授も務めた。

所属団体
二期会(理事)

受賞
毎日音楽賞(昭33年度)〔昭和34年〕「セビリヤの理髪師」など,テアトロン賞〔昭和40年〕「王様と私」(ミュージカル),ジロー・オペラ賞(特別賞)〔昭和61年〕

没年月日
昭和60年 12月31日 (1985年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「立川清登」の解説

立川 清登
タチカワ スミト

昭和期の声楽家(バリトン) 洗足学園大学客員教授;二期会理事。



生年
昭和4(1929)年2月15日

没年
昭和60(1985)年12月31日

出生地
大分県大分市

本名
立川 澄人

学歴〔年〕
東京芸術大学声楽科〔昭和29年〕卒

主な受賞名〔年〕
毎日音楽賞(昭33年度)〔昭和34年〕「セビリヤの理髪師」など,テアトロン賞〔昭和40年〕「王様と私」(ミュージカル),ジロー・オペラ賞(特別賞)〔昭和61年〕

経歴
芸大在学中の昭和28年にオペラ「椿姫」のジェルモン役でデビュー。卒業後、30年二期会に入会、以後中心歌手(バリトン)として次々に主役を演じた。主なレパートリーに「魔笛」のパパゲーノ、「セビリヤの理髪師」のフィガロなど。35年からNHKテレビの長寿番組「音楽をどうぞ」の司会を務めるなど、テレビ、ラジオにも活躍の場を広げ、40年前後、紅白歌合戦にも数回出場。クラシック、民謡、流行歌と幅広いレパートリーをこなし、また「王様と私」などミュージカルにも活躍、その気取らない人柄が茶の間の人気を呼んだ。洗足学園大学客員教授も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「立川清登」の解説

立川清登 たちかわ-すみと

1929-1985 昭和時代後期のバリトン歌手。
昭和4年2月15日生まれ。昭和28年「椿姫」でデビュー。34年「セビリアの理髪師」で毎日音楽賞を受賞するなど二期会の中心歌手としておおくのオペラに出演。ミュージカル,ポピュラー,民謡とレパートリーは幅ひろく,テレビの司会などでも活躍した。昭和60年12月31日死去。56歳。大分県出身。東京芸大卒。本名は澄人。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「立川清登」の解説

立川 清登 (たちかわ すみと)

生年月日:1929年2月15日
昭和時代の声楽家。バリトン歌手
1985年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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