竹下 登(読み)タケシタ ノボル

20世紀日本人名事典の解説

竹下 登
タケシタ ノボル

昭和・平成期の政治家 元・衆院議員(自民党);元・首相。



生年
大正13(1924)年2月26日

没年
平成12(2000)年6月19日

出生地
島根県飯石郡掛合村(現・掛合町)

学歴〔年〕
早稲田大学商学部〔昭和22年〕卒

主な受賞名〔年〕
レジオン・ド・ヌール・グラン・ド・フィシエ勲章

経歴
造り酒屋の長男として生まれ、学徒動員で陸軍飛行隊に入隊、少尉で終戦を迎える。のち学校教員、自民党島根県連青年団長、島根県議を経て、昭和33年衆院議員に当選。連続当選14回。この間、36年自民党青年局長、38年通産政務次官、39年内閣官房副長官、46年第3次佐藤内閣官房長官、49年第2次田中内閣官房長官、51年三木内閣建設相、53年衆院予算委員長、54年第2次大平内閣蔵相、56年党幹事長代理を歴任。57年11月の第1次中曽根内閣発足から、60年12月の第2次中曽根第2回改造内閣に至るまで、蔵相を4期連続務めた。60年先進5ケ国蔵相会議で“プラザ合意”に加わる。政界復帰が危ぶまれている田中元首相の間隙を縫って、同年に創政会を旗上げ、62年7月には二階堂進、小沢辰雄らと袂をわかち、113人を率いて竹下派を結成、11月第1次竹下内閣を発足。首相在任中は税制改革に取り組み、平成元年消費税を導入したほか、全国の市町村に一律1億円を交付する“ふるさと創生”事業を実施し話題を呼んだ。また昭和天皇の逝去で元号を“平成”に改めた。しかし、昭和63年の“リクルート事件”をきっかけに政治不信が広がり、平成元年6月に退陣した。3年党最高顧問。退陣後は自らを“平成の語り部”と称し、最大派閥・竹下派のオーナー、小渕派の創設者として以後の内閣への影響力を保持した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和の解説

竹下 登
タケシタ ノボル


肩書
元・衆院議員(自民党),第74代首相

生年月日
大正13年2月26日

出生地
島根県飯石郡掛合村(現・掛合町)

学歴
早稲田大学商学部〔昭和22年〕卒

経歴
造り酒屋の長男として生まれ、学徒動員で陸軍飛行隊に入隊、少尉で終戦を迎える。のち学校教員、自民党島根県連青年団長、島根県議を経て、昭和33年衆院議員に当選。連続当選14回。この間、36年自民党青年局長、38年通産政務次官、39年内閣官房副長官、46年第3次佐藤内閣官房長官、49年第2次田中内閣官房長官、51年三木内閣建設相、53年衆院予算委員長、54年第2次大平内閣蔵相、56年党幹事長代理を歴任。57年11月の第1次中曽根内閣発足から、60年12月の第2次中曽根第2回改造内閣に至るまで、蔵相を4期連続務めた。60年先進5ケ国蔵相会議で“プラザ合意”に加わる。政界復帰が危ぶまれている田中元首相の間隙を縫って、同年に創政会を旗上げ、62年7月には二階堂進、小沢辰雄らと袂をわかち、113人を率いて竹下派を結成、11月第1次竹下内閣を発足。首相在任中は税制改革に取り組み、平成元年消費税を導入したほか、全国の市町村に一律1億円を交付する“ふるさと創生”事業を実施し話題を呼んだ。また昭和天皇の逝去で元号を“平成”に改めた。しかし、昭和63年の“リクルート事件”をきっかけに政治不信が広がり、平成元年6月に退陣した。3年党最高顧問。退陣後は自らを“平成の語り部”と称し、最大派閥・竹下派のオーナー、小渕派の創設者として以後の内閣への影響力を保持した。

受賞
レジオン・ド・ヌール・グラン・ド・フィシエ勲章

趣味
麻雀 ゴルフ

没年月日
平成12年6月19日

家族
弟=竹下 亘(衆院議員) 孫=影木 栄貴(漫画家)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

367日誕生日大事典の解説

竹下 登 (たけした のぼる)

生年月日:1924年2月26日
昭和時代;平成時代の政治家。衆議院議員;首相
2000年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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