デジタル大辞泉 「ゴルフ」の意味・読み・例文・類語
ゴルフ(golf)
[補説]多くは18ホールを1単位(ラウンド)とし、基準打数(パー)の合計は72が一般的。
翻訳|golf
ゴム製の小さなボールをクラブで打ち,コース上の18,もしくはそれ以上のホール(穴)に順次入れ,打数の多少によって勝敗を争うスポーツ。
ゴルフの起源について三つの説があるが,どの説も明確な根拠のあるものではない。第1は,スコットランドの羊飼いの牧童たちが羊を追いながら石を転がして遊んだという説,第2のオランダを起源とするものは,オランダの球戯,ヘットコルフェンhet kolvenというホッケーに似たゲームが変化しスコットランドにわたったという説,第3は,紀元80年,ローマ帝国のユリウス・アグリコラ将軍がスコットランドを征服したとき,羽毛をつめた革製のボールを木杖で打つパガニカpaganicaという球戯を行い,3世紀にわたるローマ軍の長期占領中に土着してゴルフになったという説である。
いずれにしても14世紀中ころから,現行の方法によるゴルフが行われていたことは,スコットランドのグロスター大聖堂のステンド・グラスに,ボールに向かってスイングしている男の図が描かれていることで明らかである。ゴルフは貴族を中心に発達したものとみられ,1457年に国王ジェームズ2世が,ゴルフの流行は武術,弓術の訓練を妨げるとして,12歳から50歳までの男子にゴルフ禁止令を出している。同様の禁止令は70年,91年にも出され,以後も安息日のプレーの禁止などが記録に残されている。
18世紀に入ると,ゴルフを愛好する貴族たちがゴルフ場を中心としてクラブをつくるようになった。1744年にオナラブル・カンパニー・オブ・エジンバラ・ゴルファーズHonourable Company of Edinburgh Golfers(後のミュアフィールド・ゴルフクラブ)の第1回会合が開かれ,エジンバラ市会から贈られた銀製カップを賞品として争奪戦が行われた。これが記録にのこる最初のゴルフクラブとゴルフ競技である。ついで54年にはスコットランドのセント・アンドルーズにセント・アンドルーズ・ゴルフクラブ(後のローヤル・アンド・エンシェント・ゴルフクラブ)が創設された。ルール,ゲーム方法も整備され,1744年のエジンバラ・ゴルファーズの創立時に13ヵ条のルールが決められ,64年にはセント・アンドルーズで1ラウンドが22ホールから18ホールに短縮されるなど,ほぼ現在のゴルフゲームの原形が完成した。そして1834年,ウィリアム4世がセント・アンドルーズ・ゴルフクラブにローヤル・アンド・エンシェント・ゴルフクラブ・オブ・セント・アンドルーズRoyal and Ancient Golf Club of St.Andrewsの名称を与え,全国のゴルフクラブの統轄,規則の制定,選手権の開催と運営に当たらせることになった。第1回全英オープンゴルフ選手権大会は60年にスコットランドのプレストウィックで開催され,8人のプロによって争われた結果,ウィリー・パーク・シニアが優勝している。また85年に第1回全英アマチュアゴルフ選手権大会が,93年に第1回の全英女子ゴルフ選手権大会が行われるなど,ゴルフは隆盛期を迎えた。
ゴルフが本格的にアメリカで行われるようになったのは,1888年ニューヨーク州ヨンカーズにセント・アンドルーズ・クラブが創立されてからである。そして94年にアメリカゴルフ協会が生まれ,翌95年に第1回全米オープンゴルフ選手権大会がロード・アイランド州ニューポート・ゴルフクラブで行われている。ゴルフはアメリカでも急速に普及し,1905年に初のアメリカ,イギリス対抗競技が行われるまでになった。アメリカの技術的な進歩はめざましく,13年の全米オープンではアメリカの無名の20歳の青年,F.D.ウィメットがイギリスのトッププロ,バードンHarry Vardonを破り,また21年の全英オープンでは初めてアメリカのプロ,J.ハチソンがタイトルを奪った。こうして,ゴルフの主流はイギリスからアメリカに移り,30年に全英オープン,全米オープン,全英アマチュア,全米アマチュアの各選手権をとり,年間グランドスラムを達成して〈球聖〉といわれたボビー・ジョーンズBobby Jones(1902-71)らを輩出し,また第2次世界大戦後,S.スニード,B.ホーガン,A.パーマー,J.ニクラウスなどの名選手が生まれている。アメリカでのプロ・トーナメントは1899年にウェスタン・オープンが創設されて以後徐々に増加し,1938年には年間38試合に達した。97年現在,47試合を数え,1月から10月末までツアーとして全開催地を移動しながらアメリカ全土で行われている。また,ヨーロッパ各国ではヨーロッパ・ツアーも行われている。
ヨーロッパ・ツアーは順調に発展し,その範囲も旧東ヨーロッパ圏はもちろん,中近東,アフリカ,アジアにまで拡大している。選手層も厚くなり,かつてはイギリス中心だったものが最近ではスウェーデン,スペイン,ドイツ,イタリアなどからも優秀な選手を生み出している。旧共産圏からも近いうちに優秀な選手が出現するだろう。アメリカ,日本,ヨーロッパ,南アフリカ,オーストラジアン(オーストラリア,ニュージーランドなど)が現在,世界五大ツアーと呼ばれる。
日本には,1901年に神戸に住むイギリス人茶商のA.グルームによって導入され,六甲山に4ホールのゴルフコースをつくり,03年に神戸ゴルフ俱楽部を創設した。ついで06年に横浜在住のイギリス人を主体にニッポン・レースクラブ・ゴルフィング・アソシエーションが設立され,この二つのクラブが中心となって07年に日本アマチュアゴルフ選手権大会が始まった。なお,同選手権大会の日本人の優勝は,18年の第12回大会が最初である。日本人による最初のクラブは1914年に発足した東京ゴルフ俱楽部(東京駒沢)で,その後,鳴尾,舞子,程ヶ谷など7コースが生まれ,24年に日本ゴルフ協会が設立された。そして27年に第1回の日本オープン選手権競技が行われ,アマチュアの赤星六郎が優勝している。ゴルフコースの増加は,同時にプロゴルファーの誕生をうながし,プロ第1号の福井賞治をはじめ,宮本留吉,浅見緑蔵,戸田藤一郎といった優秀なプロが続々と登場した。ゴルフは日本人の上流階級に広がり,39年にゴルフクラブは74を数えたが,第2次世界大戦によってゴルフは敵性スポーツとみなされてコースは軍用地に接収され,また田畑となり激減した。
第2次大戦後,残されたゴルフコースは米軍のレクリエーション施設として使用されていたが,50年に日本ゴルフ協会主催の選手権競技が再開され,57年には日本プロゴルフ協会が設立されるなどして,ゴルフ界は新しい時代を迎えた。57年に霞ヶ関カンツリー俱楽部(埼玉県)で行われた第5回カナダカップ(現,ワールドカップ)で,日本代表の中村寅吉,小野光一組が優勝したことが契機となり,ゴルフは国民的なスポーツとして認知され,ゴルファーが急増し,ゴルフ場も続々と新設された。ゴルフの大衆化のなかで,男子プロのトーナメントが盛んになり,アメリカ同様のツアー体制をとって,97年現在,年間36試合を行っている。この他,グローイング・ツアー,シニア・ツアーなどすべてを合わせると年間79試合になる。外国からの一流選手が訪れる一方で,青木功,中島常幸,尾崎将司らがイギリス,アメリカのトーナメントで活躍するなど,日本のゴルフは世界のトップレベルに成長している。なお,日本人選手で全米プロゴルフ協会のツアー・ライセンスを得て本格的にツアーに参戦したのはこれまで9人。しかしツアーに勝ったのは1983年ハワイアン・オープンの青木功だけである。青木は92年から満50歳以上が資格のあるシニア・ツアーに進み,97年までに7勝。とくに97年はヘイル・アーウィン,ギル・モーガンについで賞金ランキング3位に入る健闘をみせた。
ゴルフは当初から女性の参加があり,1893年にイギリス女子ゴルフ連盟が結成されるなど,女性ゴルファーも組織化されていった。しかし本格化するのは第2次世界大戦後で,1946年に全米女子オープンゴルフ選手権大会が始まり,49年にアメリカ女子プロゴルフ協会が設立された。現在ではアメリカの女子プロは男子なみのトーナメント・ツアー体制を組んでいる。日本では67年に日本プロゴルフ協会内に女子部が置かれ,74年に日本女子プロゴルフ協会が発足した。現在はアメリカに次ぐトーナメント体制がとられ,97年現在36試合を行っている。選手のレベルも向上し,樋口久子,岡本綾子がアメリカのトーナメントで優勝したほか,近年では小林浩美,平瀬真由美がアメリカの女子プロゴルフ協会ツアー選手として参加し,それぞれ優勝をかざった。国内では福島晃子のような大型選手も生まれ,日本ツアーをリードしている。
各ホールの構造は,ティーグラウンド(ボールの打出し場所),フェアウェー(芝を刈り込んだ正しい順路),ラフ(雑草の生えた地域),ウォーターハザード(海,池,川などの障害物),バンカー(砂をしいたくぼ地の障害物),グリーン(直径10.79cmの穴をそなえ,ボールがころがりやすいように芝を刈り込んだ場所)からなり,これを1区画とし,原則的には18ホール(1ラウンド)を一単位としている。各ホールには距離に応じて基準となる打数(パーpar)が定められている。パーは熟練したプレーヤーならば達成可能な打数で,グリーン上を2打として算定している。男女の距離別のパーは表のとおり。18ホールのコースは,普通はパー3のショート・ホールが4,パー4のミドル・ホールが10,パー5のロング・ホールが4で,パーの合計が72になるようにつくられている。なおパーより1打少なくホールアウトした場合をバーディbirdie,2打少ない場合をイーグルeagle,3打少ない場合をアルバトロスalbatrossといい,パー3のショート・ホールの1打がカップインした場合をホールインワンという。パーより1打多い場合をボギーbogey,2打多い場合をダブルボギーdouble bogey,3打多い場合をトリプルボギーtriple bogeyという。
コースは元来,自然の地形をそのまま利用していた。初期のスコットランドのコースは,ほとんどがリンクスランドと呼ばれる海岸ぞいの砂丘地帯にあり,ラフや障害となるハザード(バンカーやウォーターハザード)が自然のままに,多く残されていた。その伝統に立つイギリスのコースは,フェアウェーが狭く,うねりに富み,〈リンクス〉と呼ばれる。ミスショットをした場合に厳しい〈加罰型〉のコースであった。加えて,風が強い海岸ぞいのコースのため,弾道の低い球で正確に攻めるやり方が主流であった。
一方,アメリカでは,人工的なコース建設が進み,イギリスに比べ温暖な気候や散水設備などの技術革新により,柔らかな芝地の多いコースが増えていった。柔らかな芝をもち,かつフェアウェーの広いコースのため,飛距離を伸ばし,高い球で直接ピンをねらうという攻め方がとられた。世界的にアメリカ型のコースが広がる契機となったのは,ボビー・ジョーンズがイギリスの名コース設計家アリスター・マッケンジーと共につくったオーガスタ・ナショナル・ゴルフコース(アメリカ,ジョージア州)で1934年から開始されたマスターズ・トーナメントが好評を博したことにある。以後,アメリカ型コースが世界の主流となり,日本においてもアメリカ型コースが普及している。
ゴルフの用具は,長い歴史のなかで技術の進歩とともに大きく性能が変わり,ゴルフスイングやコースの設計までも大きく変えてきている。
ボールの材質は,最初は堅い木を丸くしたものを使っていたが,15世紀中ごろには革のなかに羽毛を詰めたフェザーボールがあらわれた。19世紀に入ってガタパチャボールgutta-percha ballが出現した。これは熱帯植物の樹脂からとったゴム状のものを丸めたものであった。この当時から表面に刻み目(ディンプル)をつけることによって,高くまっすぐに飛ばすためのくふうがなされた。このディンプルは,その後,形状,深さなどが改良され,ゴルフボールの飛距離を生む大きな要素となっている。1898年,現在のボールの原型といえるハスケルボールが生まれた。これはゴム芯に細い糸ゴムを巻きつけたもので,表皮にはガタパチャをかぶせた。現在は芯が液状(リキッドセンター)と固体(ソリッドセンター)の2種類がある。現在は糸ゴム,表皮のゴムとも高性能なものに変わり,当時のものと比べられないような飛距離を生み出すようになってきた。ゴムの性能の進歩は,芯,糸ゴムを使わないツーピースボールを生み出し,飛距離,性能も糸巻きボールに劣らないものにまでなった。ボールのサイズは,スモールサイズ(直径4.11cmより小さくないもの)とラージサイズ(直径4.27cmより小さくないもの)の2種類(重さはいずれも45.92gより重くないもの)あるが,現在の公式トーナメントではイギリス,アメリカ,日本ともラージサイズが公認球とされている。
ゴルフクラブの形や構造は規則によって規定されている。クラブはグリップ,シャフト,ヘッドの三つの部分から成り,ヘッドが木製のものをウッドクラブ,金属製のものをアイアンクラブという。ウッドクラブは基本的に1番(ドライバー)から5番(クリーク)まであり,アイアンは1番から9番までと,アプローチ用のピッチングウェッジ,バンカーから打つサンドウェッジがあり,さらにグリーン上で使うパターがある。ヘッドの大きさ,ロフト(角度)などの違いにより,求める距離によって使い分ける。ゴルフが発達したころは,シャフトがヒッコリーでヘッドも木製であったが,ガタパチャボールが出現したのと同じころに,アイアンクラブが実用化された。20世紀に入ってシャフトもスチールシャフトに変わり,1928年にイギリスゴルフ協会によって公認された。また,30年代に競技に携行するクラブの本数制限(14本以下)が実施された。シャフトの素材も,カーボンファイバーをはじめ,チタンなどが使われ,また,ウッドクラブのヘッドもパーシモン(柿材)が主流ではあるが,金属製,カーボンファイバーなどが使われるようになった。
ゴルフの競技方法には,ストロークプレーstroke playとマッチプレーmatch playの二つがある。ストロークプレーとは1ラウンド(18ホール),またはそれ以上の決められたホール数を,最も少ない打数でホールアウトした競技者を優勝とする競技方法であり,マッチプレーとはホールごとに勝負を決めていき,決められたホールを終えて勝ちホールの多いほうを勝者とする方法である。かつて,ストロークプレーの優勝者には金メダルを授ける習慣があり,優勝者はメダリストと呼ばれ,競技方法はメダルプレーといわれた。ゴルフの競技は当初,個人対抗のマッチプレーであったが,参加競技者が多ければ勝抜き戦は決勝を終えるまで時間がかかるために,一度に多人数参加しても所定のラウンド数で競技が終了するストロークプレーを採用することが多くなってきた。
1860年の第1回全英オープンはプレストウィックで行われたが,当時,プレストウィックは12ホールしかなく,これを3ラウンド,36ホールの競技として行った。現在のように4ラウンド,72ホールになったのは92年ミュアフィールドで行われたときからである。全米オープンも第1回大会(1895)からストロークプレーで行われている。全米プロは現在はストロークプレーで行われているが,1916年第1回大会以来57年までの41年間,マッチプレーで行われた。この変更は,アメリカのプロ選手がマッチプレーを嫌ったこと,テレビ中継に不適当なことなどの理由からである。
現在,マッチプレーで行われている世界的な試合としては,全米アマチュア選手権がある。日本では最初からストロークプレーが中心となっているが,日本プロゴルフ選手権大会は第6回大会(1931)から28回大会(1960)の間,マッチプレーで行われていた。しかし,現在マッチプレーを見直そうという動きがあり,毎年10月にはロンドンで世界マッチプレー選手権大会が行われ,日本でも日本プロゴルフマッチプレー選手権が開催されている。アマチュアの試合ではマッチプレーが多く用いられている。各ゴルフ場のクラブ選手権ではストロークプレーで予選を行って人数を限定し,その後はマッチプレーでクラブチャンピオンを決める方法が行われている。
その他,次のような競技方法がある。(1)ツーボール・スリーサムtwo ball threesome 1人対2人で争い,2人組は1個のボールを交互に打つマッチプレー。(2)ツーボール・フォアサムtwo ball foursome 2人対2人で各組が1個のボールを交互に打つマッチプレー。(3)フォアボールマッチfour ball match 2人ずつがペアとなり各自のボールを打ち,2人のうちの少ない打数同士で勝負するマッチプレー。エキジビションマッチや,アメリカ・ヨーロッパ対抗のライダーカップにもこの試合形式がとり入れられている。(4)ツームストーンtomb-stone コースのトータルのパーと自分のハンディキャップを加えた数だけ,打ち終わったところに旗を立ててプレーを終了する。出発点からより遠距離に旗を立てたほうが勝つ。なおハンディキャップとは,コースのパーを平均して何打超えてラウンドするかを示す数字で,原則として0~36までのランクがあり,その人の力量がわかる。打数(グロススコア)からハンディキャップを引いたものをネットスコアといい,アマチュアの場合はそのスコアを他の人との比較の対象とする。(5)ポイントターニーpoint tourney ホールのパーに対して自分のストロークがパーならば2点,1打多ければ1点,少なければ3点と点数をつけ,そのトータル点数で勝敗を争う。
ゴルフルールが他のスポーツのルールと根本的に相違し,また最もきわだった特徴としてあげられるのは,ジャッジメントを審判が行うのではなく,プレーヤー自身が審判となるということである。打数,ペナルティ(罰)はみずからが判断し,打数を申告し罰を課していく。それゆえにゴルフは〈紳士のスポーツ〉といわれる。また,ゴルフは自然のコースを対象に行われるスポーツであり,自然の状態をそのままにプレーすることが基本となる。そのため,ホールの第1打を放ったときにボールはインプレーとなり,グリーン上を除きそのホールを終えるまでどのような状態であろうとボールに直接触れてはならず,あるがままの状態でプレーすることが原則となっている。しかし,コースが特別な状態でプレーに不公平が起きたり,また,救済することが,ゴルフの基本的精神に抵触しないときは,特別ルールが設けられる。たとえばフェアウェー上に降雨等の水たまりがある場合は,罰なしで移動できる。これは,前者がゼネラルルールと呼ばれるのに対してローカルルールと呼ばれる。ルールは競技方法や用具について定められているが,イギリスゴルフ協会(ローヤル・アンド・エンシェント・ゴルフクラブ)が時代の流れによって適時,変更,改正を行ってきた。ゴルフの主流がアメリカに移ってからも,アメリカゴルフ協会と話し合いつつ,ルールを改正し,現在では4年ごとに大幅に改正,その他の年に,若干の語句の改正を行っている。日本では,それらの動向にあわせつつ,日本ゴルフ協会がルールを定めている。
芝の上に静止しているボールを打つことはだれでもできることだが,より正確に,より遠くにボールを飛ばすには,基本的な技術の習得が必要である。一流選手のスイングは,それぞれの体格,個性によって異なっているようにみえるものの,基本は同じである。ゴルフスイングは体を軸として,腕とクラブの円運動であり,そのクラブヘッドの軌道上にあるボールを打ち出す動作である。この円運動がつねに一定であれば,それだけボールを正確にとらえる確率は高くなってくる。スイング中,軸を動かさず体の回転を行い,また体の各部分をクラブをスムーズにスイングさせるため,ヘッドスピードを増すために使うことが技術向上につながってくる。
クラブの握り方をグリップという。これによってスイングも変わってくるとまでいわれ,正しいグリップが正しいスイングの第一歩である。グリップには3種ある。(1)ベースボールグリップ 野球のバットを握るように10本の指で握るグリップ。現在ではほとんど使われていない。(2)インターロッキンググリップ 左手の人差指と右手の小指をからませるグリップ。手の小さな人にはいいとされているが,必ずしもそうではなく,J.ニクラウスがこのグリップを用いているのは有名である。(3)オーバーラッピンググリップ 左の人差指と中指の間に右手の小指を重ねるグリップ。イギリス人のH.バードンが考案したのでバードングリップともいわれる。小指を重ね左右の手に一体感をもたせているが,このグリップを用いる選手も多い。またグリップのかぶせ方として,左手をかぶせ右手を開いたのをフックグリップ,左手を浅く握り右手をかぶせたグリップをウィークグリップと呼ぶ。スクエアグリップは右手の親指と人差指でつくられるV字形が右肩と右耳の間を差すものをいう。
ボールを打つ体勢をアドレスという。スタンス(足幅)の標準は肩幅で,右肩は左肩よりもやや下がり,膝を柔らかく曲げ高いいすに腰かけるような体勢をとる。スタンスは,両足のつま先を結んだ線が飛球線と平行なスタンスをスクエアスタンスといい,体重はドライバーショットでは右足にややかけ,アイアンでは中央にかける。オープンスタンスは飛球線に対して両足のつま先を結んだ線が左に向く。フェード系のボール(落ち際に右に切れる打球)を打つ人に多い。また,ショートアプローチ,バンカーショットではオープンスタンスをとり,腕の振り抜きをスムーズにする。クローズドスタンスはオープンスタンスとは逆に,左足が前に出て右足を引くスタンスで,ドロー系のボール(落ち際に左に切れる打球)を打つ人に多い。
まず体の回転と腕の動きに一体感をもたせながらクラブを上げていく。ニーアクション(膝運動)を使って体重を右足にかけ,腰,肩を十分にまわすバックスイングの頂点(トップ・オブ・スイング)では腰は45度,肩は90度回転し,背中が目標方向に向く。左腕を伸ばし,グリップの位置は右肩と右耳の中間になる。このトップ・オブ・スイングで力を蓄え,そして,下半身のリードでダウンスイングに入る。体重は右足から左足に移しながら,トップの緊張を生かした腕でひっぱり下ろして,球を打って(インパクト),一気にフィニッシュまで体を回転し,クラブを大きくスムーズに振り切る。このようにクラブを一つの軌道で動かすワンピーススイングが基本となる。また,ゆっくりとしたリズム,タイミングでスイングすることを忘れてはならない。
パットに型なしといわれる。グリーン上のボールをホールカップに沈めることが目的であり,個人個人が最も安定する型をもつ。しかし,ストロークする方向がねらった方向に真っすぐであること,クラブヘッドのフェースがラインに対して直角であることの2点が基本である。距離に応じてストロークの強さを調整することがたいせつである。
男子プロでは,全英オープン,全米オープン,マスターズ・トーナメント,全米プロを世界四大トーナメント(メジャートーナメント)と呼び,他の競技と区別している。そして四大トーナメントを1年間ですべて制覇することをグランドスラムという。だが現在までこれを達成したものはなく,多年にわたり制覇したものもジーン・サラゼンGene Sarazen(1902-99),ベン・ホーガンBen Hogan(1912-97),ゲーリー・プレーヤーGary Player(1935- ),ジャック・ニクラウスJack Nicklaus(1940- )のみであり,また同一年に3タイトルを制覇したものは,1953年のベン・ホーガン(全米プロは不出場)のみである。
四大トーナメントがそろったのは,1934年のマスターズ開設以降であり,また四大トーナメントが意識されるようになったのは,60年にアーノルド・パーマーArnold Palmer(1929- )がグランドスラム達成を目標にしてからである。飛行機交通の便も悪かった60年代以前の名選手にとっては,グランドスラムのチャンスは少なかった。なお1930年にボビー・ジョーンズがアマチュアとしてグランドスラムを達成しているが,これは,全英オープン,全米オープン,全英アマチュア,全米アマチュアの4競技である。
(1)全英オープンゴルフ選手権大会The British Open 1860年に始まった世界で最も歴史が古く,単にThe Openとも呼ばれる。伝統的に海岸ぞいのコースのみで行われており,現在はセント・アンドルーズなどの7コースで順次開催されている。フェアウェーが狭く,ラフの深い伝統的なコースで行う点も,このトーナメントの価値を高めている。日本選手では1982年の倉本昌弘の4位が最高である。
(2)全米オープンゴルフ選手権大会U.S.National Open Championship アメリカゴルフ協会設立の翌年の1895年にスタートした選手権大会。コースは固定されていないが,4年前に開催コースが決まり,以後,本大会にふさわしくコースを整備することになっている。シード選手は少なく,最近では6000人以上が参加する予選を勝ち抜かねばならず,勝つことが最も難しい,といわれる。1980年に青木功がジャック・ニクラウスと優勝を争い,2位となっている。
(3)マスターズ・トーナメントMasters Tournament 1934年にボビー・ジョーンズがみずからつくったアメリカ,ジョージア州のオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブAugusta National Golf Clubに有力選手を招待し,トーナメントを開いたことから始まった。これらの選手たちをマスターズ(名手たち)とマスコミが呼んだことから,37年より正式な名称となった。ジョーンズの設計した小川が流れる美しいコースで,毎年,招待された世界の有力選手が競う点に特色がある。日本からも毎年2人招待されている。
(4)全米プロゴルフ選手権大会PGA Championship 1916年に開設されたが,アメリカの国内プロの資格者に限られていたため,前記3トーナメントに比べ軽視されていた。しかし近年は,外国の優秀選手を招待し,価値を高めている。16年から57年まではマッチプレー形式だったが,58年からはストロークプレー形式にかわっている。優勝者にはアメリカ・プロツアーに10年間シード権(1970年以前は生涯シード権)が与えられる。なおコースは固定されていない。
その他の大トーナメントとして,アメリカでは高額賞金で知られるトーナメント・プレーヤーズ選手権大会,ニクラウスがホストをつとめるメモリアル・トーナメントなどが知られている。また世界各国のプロの代表が参加するものとしてワールドカップ(1966年以前はカナダカップ)がある。日本の大トーナメントとしては,日本オープン選手権大会(1927創設),日本プロゴルフ選手権大会(1926創設),日本プロゴルフマッチプレー選手権(1975創設),ゴルフ日本シリーズ(1963創設)などがある。1970年代からはスポンサード・トーナメントが飛躍的に増え,男子では賞金額も1億~2億円規模になった。とくに毎年11月に〈インターナショナル・ツアー〉の名称で行われる太平洋マスターズ,ダンロップ・フェニックス,カシオ・ワールドは,海外からも多数の選手が参加して大詰めの国内ツアーを盛り上げている。
1900年ごろから在留外国人によって移入されたゴルフは,第2次大戦前は一部上流階級のスポーツであったが,60年代の高度経済成長のなかで大衆化した。97年現在,全国に約2300のゴルフ場があり,年間の総入場者数は1億人に達している。ここから推測するとゴルフ人口は約900万人になり,ごくまれにプレーをする人を含めた潜在人口は1000万人に達すると考えられる。競技人口,プロのトーナメント数と賞金,テレビ番組数などを総合すると,アメリカに次ぐゴルフの盛んな国といえる。
大衆化されたとはいえ,日本のゴルフにはイギリスやアメリカにみられないいくつかの特徴がある。一つは地価が高いためコース建設費がかさみ,その結果,入会金やビジターのプレー料金が著しく高いことである。現在,コース建設費は土地購入費も含め,一般に1ホール4億~5億円かかるといわれ,18ホール造成費とクラブハウス建設費で軽く100億円以上が相場となっている。それらの費用負担のため,ゴルフクラブの会員になるには数百万円以上が必要となる場合が多い。さらに,歴史があり,交通の便のよい名門クラブは2000万~3000万円に達する例もある。1990年代に入ってバブル経済がはじけ,入会金などの相場は一時期に比べるとかなり値下がりしたが,それでもアメリカなどゴルフ大衆国からみれば格段に高い。したがってゴルフを楽しみたいと思っても,簡単に会員になれないことになる。個人購買力に限界があることから,日本独自の制度として,企業がメンバーとなる法人会員制がある。この制度は財政的にはメリットが大きいが,自分のクラブという意識を弱めることとなり,外国のようなクラブライフが育ちにくくなっている。また会員制度に基づかないパブリックコースが少ないこともあり,プレー料金は外国に比べて高い。
それらの悪条件にもかかわらずゴルフが普及したのは,前述したように企業が法人会員となり,接待やつきあいにゴルフを利用したためである。その結果,会社員を中心に急速に広がっていった。また競技自体としては,コースを歩くことが中心で,激しい運動ではないことから,年齢や体力にかかわらず楽しめること,ハンディキャップの導入により初心者もベテランもゲームに参加できるなどの長所があることも普及の理由である。
執筆者:岩田 禎夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…宗教改革の影響をうけ1559年に大聖堂が破壊され,以後衰退する。しかし,1754年のセント・アンドルーズ・ゴルフクラブ(後にローヤル・アンド・エンシェント・クラブ)の創立を契機にゴルフのメッカとなり,また海岸保養地として再び繁栄をとり戻した。市内には大聖堂の一部や13世紀の古城,1410年に起源を有するスコットランド最古のセント・アンドルーズ大学がある。…
※「ゴルフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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