朝日日本歴史人物事典 「竹本染太夫(初代)」の解説
竹本染太夫(初代)
生年:生年不詳
江戸中期の義太夫節の太夫。摂津伝法村(大阪市)出身。元は木綿商の田穂屋源七。通称源七染太夫。義太夫節中興の祖といわれる。2代目竹本政太夫の門弟。宝暦4(1754)年,人形浄瑠璃の竹本座初出座,のち江戸や京にも出勤。渋い西風線上の芸風で,その語り口は「染太夫風」といわれ,さらさらしたなかに産字(カアアのように別にいう母音)は格別の運びで,低い音で揺らずに角をつけ男性的に表現したようで,「本朝廿四孝」の「景勝下駄の段」,「妹背山婦女庭訓」の「背山の段」「芝六住家の段」,「伊賀越道中双六」の「饅頭娘 の段」「平作内の段」,「往古曾根崎村噂」の「教興寺の段」などに特色を示し,顎を遣った武張った表現は今も伝承される。
(高木浩志)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報