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ベルトレ ベルトレ Berthollet, Claude-Louis, Comte

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ベルトレ
ベルトレ
Berthollet, Claude-Louis, Comte

[生]1749.12.9. タロアール
[没]1822.11.6. セーヌ,アルクイユ
フランスの化学者。イタリアトリノ大学で医学を学び,パリでオルレアン公の侍医になる。フランス革命期およびナポレオン時代に,科学政策の指導者として多方面に活躍。特に国立研究所の再建 (1795) ,ナポレオンのエジプト遠征 (98) に参加し,そこで科学研究機関の設立に尽力したことは有名。

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百科事典マイペディアの解説

ベルトレ

フランスの化学者。初め医学を学びオルレアン公の侍医。のちラボアジエと火薬の研究を行い,彼の反フロギストン説を認めたが,定比例の法則を認めずJ.L.プルーストと論争。

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世界大百科事典 第2版の解説

ベルトレ【Claude Louis Berthollet】

1748‐1822
フランスの化学者。オルレアン公の援護のもとに初めは医者であったが,1780年にアカデミー・デ・シアンスの化学の会員となった。真っ先にA.L.ラボアジエの酸素説を支持し(1785),化学命名法の確立にも協力した(1787)。また,アンモニアが窒素と水素のみから成ることや(1785),青酸は窒素,炭素,水素から成ることなどを突きとめた(1787)。84年からゴブラン工場染色部門の取引主監となり,染色技術の研究も行うかたわら,塩素水溶液の漂白作用を認め,これによる布の漂白方法を研究した(1785‐1804)。

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大辞林 第三版の解説

ベルトレ【Claude Louis Berthollet】

1748~1822) フランスの化学者。塩素漂白法を発見、染色について研究、化学命名法の制定でラボアジェに協力。定比例の法則を批判。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ベルトレ
べるとれ
Claude Louis Berthollet
(1748―1822)

フランスの化学者。イタリアに近いサボアの移住者の家の出。トリノ大学で医学を(1768年、医学博士)、パリのマケールらに化学を学ぶ。科学アカデミー会員(1780)、学士院会員(1795)、国立ゴブラン製造所長官および染色工場監察官(1784)、理工科大学校(エコール・ポリテクニク)の設立(1794)、ナポレオンのエジプト遠征に随伴した際のエジプト学士院の創設など、政治的変動期において科学界の重鎮として活躍した。1804年には伯爵および元老院議員。1807年からはパリ郊外のアルクイユに設立した学会で後進を育てる。
 ラボアジエらと『化学命名法』(1787)を著すが、青酸は酸素を含まないことをみいだし、酸はかならずしも酸素に基づかないことを示した(1787)。アンモニア(1785)やメタン(1786)の組成も明らかにした。塩素から製した塩素酸カリウムによる火薬製造や塩素水による布漂白(1785)などの技術的研究もある。後者はC・テナントの漂白粉へと発展し、産業革命の推進に大いに力あった。『染色法原理』(1791)では染色機構を化学的に考察した。『化学静力学論考』(1803)は質量作用の法則を予見した歴史に残る書である。エジプト滞在中、塩湖におけるナトロン(炭酸ナトリウム)採取を観察し、通常は反応しない食塩と石灰が後者の多量の存在と高温とによって複分解すると考えた。親和力は量、溶解度、温度などの物理的条件の影響を受け、化学反応の方向が変化するとした。しかし、物質の結合割合は条件によって連続的に変わりうるとまで一般化したので、定比例の法則を提唱したプルーストの批判を受け、化学平衡にかかわる萌芽(ほうが)はつぶされてしまった。ガラスのような不定比組成の化合物の存在はのちに認められ、ベルトライドと命名された。[肱岡義人]
『カロヤン・マノロフ著、早川光雄訳『化学をつくった人びと』(1979・東京図書)』

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世界大百科事典内のベルトレの言及

【化学反応】より

…スウェーデンのベリマンT.O.Bergman(1735‐84)は,多数の酸と塩基の組合せについて,相互に置換しあう酸と塩基の相対的な能力の差によって化学親和力の大きさを評価できると考えた。
[化学反応の方向]
 化学反応における物質量の重要性に注目したのはフランスのC.L.ベルトレであり,ある物質に2種類の物質が競合的に反応するとき,反応量は化学親和力の相対的大きさだけに依存するのではなく,反応物質の量にも依存することを指摘した。たとえば硫酸バリウムBaSO4のような不溶性の塩も,炭酸カリウムK2CO3溶液と煮沸を繰り返すことによって溶かすことができる。…

【鉄】より

…製鉄の各分野がここで模範的にまとめられた。そしてついにA.L.ラボアジエの新元素観と酸化と還元の理論,G.モンジュがC.L.ベルトレらと共同してこの新理論を冶金に適用し,高炉における還元と吸炭の過程,精錬炉における合金元素,同伴元素,有害元素の酸化除去のプロセスをみごとに解明した。今や炭素,ケイ素,マンガン,リン,硫黄など,鉄中の諸元素の挙動が追究され,技術の向上に決定的に寄与するに至った。…

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