(1)人形浄瑠璃。時代物。10段。近松半二・近松加作の作。1783年(天明3)4月大坂竹本座初演。上杉家家老和田行家の子息志津馬が姉婿唐木政右衛門の助力を得て父の敵沢井股五郎を討つまでを描いた作品。1776年(安永5)12月大坂嵐座上演の奈河亀輔作の歌舞伎を翌年3月に大坂豊竹此吉座で人形浄瑠璃化した当り作《伊賀越乗掛合羽(いがごえのりがけがつぱ)》に依拠するところが大きいが,敵を追う主人公たちの移動につれてさまざまな人々の義理と恩愛とにからんだ悲劇が次々と東海道筋に展開されていくという構想は本作独自の風趣を生み出すものとなっている。なかでも志津馬の愛人お米の父である雲助平作が久しぶりに再会したわが子の呉服屋十兵衛から敵股五郎の消息を聞き出すために自害する〈沼津の段〉(六段目)や,政右衛門が旧師山田幸兵衛の面前でわが子を殺して義心を示す〈岡崎の段〉(八段目)などが繰り返し上演され,また,作品としての出来もよい。演奏上では,〈沼津〉の口に初世竹本咲太夫,切に初世竹本染太夫,〈岡崎〉の切に初世竹本住太夫の風が伝えられている。
(2)歌舞伎狂言。時代物。(1)の半二らの浄瑠璃は同年9月大坂嵐他人座(中の芝居)で歌舞伎に脚色し上演された。政右衛門を2世三保木儀左衛門,十兵衛・幸兵衛を初世尾上菊五郎,平作を初世加賀屋歌七(前名初世中村歌右衛門)。その後,先行作《伊賀越乗掛合羽》と継ぎ合わせた台本が用いられることもある。作中,出立に際して政右衛門が志津馬の幼い妹と祝言をあげる〈饅頭娘(まんじゆうむすめ)〉や主君に別れを告げる〈奉書試合〉の場面などの見せ場も多いが,やはり中心は〈沼津〉〈岡崎〉の2幕で,特に前者における瀕死の平作の悲痛な告白や,股五郎の行方をそれとなく知らせる十兵衛の幕切れのせりふ,また,後者においては義のために苦難に耐え抜く政右衛門の男らしい姿などが,観客に深い感銘を与えるものとなっている。なお前者の両花道を活用した演出も効果的である。
人形浄瑠璃,歌舞伎の一系統。1634年(寛永11)11月剣客荒木又右衛門が義弟渡辺数馬の助太刀をして伊賀上野城下の鍵屋の辻で河合又五郎を討ったという伊賀越の敵討を題材にした作品の総称。曾我兄弟,赤穂浪士と並ぶ三大仇討の一つとして,近世演劇のみならず小説,講談,さらには映画等にも広くとりあげられている。歌舞伎では1725年(享保10)7月大坂嵐座の《伊賀上野仇討》や41年(寛保1)6月江戸市村座の《敵討三組盃》,人形浄瑠璃では76年8月江戸外記座の紀上太郎(きのじようたろう)作《志賀の敵討》等がその早い例だが,伊賀越の世界を確立する上で最も功績のあった作品としては,前述の歌舞伎《伊賀越乗掛合羽》をあげるべきだろう。同作は歌舞伎・人形浄瑠璃の双方で行われたほか,83年4月には本系統のもう一つの代表作である近松半二らの人形浄瑠璃《伊賀越道中双六》(大坂竹本座)の粉本としても用いられている。以後,近世における伊賀越物はおおむねこの2作を基盤にするものとなっていった。なお明治以降では,1880年(明治13)3月東京新富座の河竹黙阿弥作《日本晴伊賀報讐(につぽんばれいがのあだうち)》が団菊左の顔合せで評判をとっている。
執筆者:原 道生
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浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。10段。近松半二、近松加助合作。1783年(天明3)4月大坂・竹本座初演。1634年(寛永11)荒木又右衛門(またえもん)が義弟渡辺数馬(かずま)を助けて舅(しゅうと)の仇(あだ)河合又五郎を討った事件を脚色。奈河亀輔(ながわかめすけ)作の歌舞伎(かぶき)脚本『伊賀越乗掛合羽(のりかけがっぱ)』(1776初演)を土台にした作で、題名どおり仇討の過程を道中双六に見立て、鎌倉から郡山(こおりやま)、沼津、岡崎などを経て伊賀上野の敵討(かたきうち)で終わる。同年9月には歌舞伎に移され、以後「伊賀越物」の代表作になった。
第一(鎌倉)~第五(郡山)―上杉の臣沢井股五郎(さわいまたごろう)は同藩の老臣和田行家(ゆきえ)を殺して逐電する。行家の娘お谷の夫唐木政右衛門(からきまさえもん)は義弟志津馬(しづま)の助太刀(すけだち)をするため、主君誉田内記(ほんだないき)から暇(いとま)をもらう。第六(沼津)―志津馬の愛人お米(よね)は、沼津に住む父親の雲助平作(へいさく)のもとで敵股五郎の行方を探している。ある日、平作が昔、他家へ養子にやった息子の呉服屋十兵衛がこの家に泊まる。平作は十兵衛が沢井にゆかりある者と知り、千本松原で敵のありかを聞こうとするが、義心厚い十兵衛が明かそうとしないので、自害して末期の耳に股五郎の行方を聞き、お米に立ち聞きさせる。第八(岡崎)―敵を尋ね、藤川の関所を破った政右衛門は、岡崎で偶然にも旧師の山田幸兵衛の家に泊まる。幸兵衛は娘の許婚(いいなずけ)の股五郎に味方しようと、いったんは政右衛門に助太刀を頼むが、妻のお谷を追い返し嬰児(えいじ)のわが子まで殺した政右衛門の義心に感じ、助太刀を断念する。「沼津」は平作の気骨と、義理と恩愛の板挟みになる十兵衛の苦衷を劇的に描いた名場面で、とくに歌舞伎では花道と客席を使って旅の情趣を色濃く表現する。「岡崎」は雪を背景にした重厚な悲劇で、義太夫では有数の難曲になっている。
[松井俊諭]
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