竹村まや(読み)タケムラ マヤ

20世紀日本人名事典 「竹村まや」の解説

竹村 まや
タケムラ マヤ

昭和期の助産婦,歌人 北海道助産婦会会長;竹村福祉事業団理事長;道議。



生年
明治32(1899)年11月20日

没年
昭和54(1979)年12月7日

出生地
北海道・旭川永山屯田兵村

旧姓(旧名)
若井

学歴〔年〕
実科女学校〔大正4年〕卒,日本産婆看護婦学校〔大正6年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲五等宝冠章〔昭和46年〕

経歴
大正6〜7年頃北海道音江村(現・深川市)医師・竹村顕一と結婚し、夫は内科、自らは産婆(助産婦)を開業する。12年東京に移転したが関東大震災に遭遇し、13年北海道に戻り、夫が黒松内稚内の鉄道診療所に勤務となり、まやも同地で産婆を開業。昭和3年札幌で竹村内科医院を開業し夫婦で仕事を続けた。この間、札幌助産婦会会長、北海道助産婦会会長を歴任。札幌市議、北海道議も務め、公的な立場から母子衛生の改善向上に尽力し、この功に対し札幌市政功労者となるなど多くの表彰を受けた。また社会福祉にも関心を示し、42年竹村福祉事業団を設立し理事長に就任、系列の保育園園長を兼務する。一方、歌人としても知られ、3年から山下秀之助短歌師事し、「橄欖」などに属した。27年「あかしやの花」、44年「歳旦」、50年「飛翔の像」、54年「武華川」などの歌集を出版し、札幌市内に歌碑が建立された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹村まや」の解説

竹村まや たけむら-まや

1899-1979 昭和時代の助産婦,歌人。
明治32年11月20日生まれ。医師竹村顕一と結婚。昭和3年札幌市で開業,のち北海道助産婦会長となる。札幌市議会・北海道議会議員。42年竹村福祉事業団を設立し,理事長。短歌は山下秀之助に師事,「橄欖(かんらん)」などに属した。昭和54年12月7日死去。80歳。北海道出身。日本産婆看護婦学校卒。旧姓は若井。歌集に「あかしやの花」「歳旦」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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