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竹村茂雄 たけむら しげお

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美術人名辞典の解説

竹村茂雄

国学者、本居宣長村田春海門、伊豆の人、弘化元年(1844)歿、76才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

竹村茂雄 たけむら-しげお

1769-1845* 江戸時代後期の国学者。
明和6年2月16日生まれ。伊豆(いず)君沢郡(静岡県)熊坂の豪農。本居宣長(もとおり-のりなが)にまなび,江戸で村田春海(はるみ)に入門。宣長の著作を刊行して国学の普及につくし,伊豆国学の祖といわれた。門人に江川英竜。弘化(こうか)元年12月13日死去。76歳。通称は平右衛門。号は穂向屋。著作に「道守之標」「穂向屋集」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

竹村茂雄

没年:弘化1.12.13(1845.1.20)
生年:明和6.2.16(1769.3.23)
江戸後期の国学者。名は初め為本。通称,平右衛門。号は穂向屋。伊豆国君沢郡熊坂村(静岡県修善寺町)の豪農の家に生まれた。2歳のとき父を失い,叔父に養育されて寛政5(1793)年25歳で家を継いだ。同7年松坂(松阪市)に至って本居宣長に入門した。同9年江戸に出て村田春海の門を敲き,加藤千蔭,清水浜臣らとも交わった。文政1(1818)年伊勢内宮に75両を奉納。その利息金で宣長の『直日霊』を同8年に出版した。一方,伊豆における国学の興隆に力を入れ,門人200名以上を擁した。韮山代官江川太郎左衛門も茂雄の影響を強く受けたという。天保8(1837)年に起こった大塩平八郎の乱生田万の乱に衝撃を受け,農民の惨状を訴えた『憐農民詞』を著して幕府に献じた。<参考文献>高田岩男「伊豆の国学者竹村茂雄の思想」(西山松之助博士古稀記念会編『江戸の芸能と文化』)

(白石良夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の竹村茂雄の言及

【伊豆国】より

…ここに学んだ豪農の子弟の中から地方文人が輩出し,安久村の秋山富南(1723‐1808)は1800年(寛政12)《豆州志稿》を編んだ。この流れから,文化・文政期,熊坂村に本居宣長門人の竹村茂雄(1769‐1844)が出て多くの百姓国学者を育て幕末維新の平田派国学の隆盛を導き,草莽勤王隊の伊吹隊を生んだ。伊豆諸島【高橋 敏】。…

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