朝日日本歴史人物事典 「竹村茂雄」の解説
竹村茂雄
生年:明和6.2.16(1769.3.23)
江戸後期の国学者。名は初め為本。通称,平右衛門。号は穂向屋。伊豆国君沢郡熊坂村(静岡県修善寺町)の豪農の家に生まれた。2歳のとき父を失い,叔父に養育されて寛政5(1793)年25歳で家を継いだ。同7年松坂(松阪市)に至って本居宣長に入門した。同9年江戸に出て村田春海の門を敲き,加藤千蔭,清水浜臣らとも交わった。文政1(1818)年伊勢内宮に75両を奉納。その利息金で宣長の『直日霊』を同8年に出版した。一方,伊豆における国学の興隆に力を入れ,門人200名以上を擁した。韮山代官江川太郎左衛門も茂雄の影響を強く受けたという。天保8(1837)年に起こった大塩平八郎の乱や生田万の乱に衝撃を受け,農民の惨状を訴えた『憐農民詞』を著して幕府に献じた。<参考文献>高田岩男「伊豆の国学者竹村茂雄の思想」(西山松之助博士古稀記念会編『江戸の芸能と文化』)
(白石良夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報