竹野西郷
たかのさいごう
竹野新庄四ヵ郷の一つ。郷域は現田主丸町の西端部、耳納山麓から巨瀬川左岸にかけての田園地帯で、現在の大字中尾一帯に相当する。郷内に綾野・松崎などの地名がみえる。なお近世には指出・松崎・浮地・猪口・綾野・五名・自在丸・吉富各村を西郷八ヵ村と称した(慶応三年「西郷八ヶ村品々御手入筋願一件書留」中村家文書)。同地域は古代竹野郡の条里施行地域である。徳治三年(一三〇八)一月一六日の守部道盛譲状(近藤文書/鎌倉遺文二〇)によれば、道盛が女子今鬼御前に譲与した所領のなかに、竹野新御庄西郷内明暹地頭屋敷内松崎西薗北依五反および西郷内国分寺田字相先生五反などがみえる。道盛は開発領主守部氏の一族で、明暹名に地頭職を有した鎌倉御家人である(年月日未詳「某下知状案」生桑寺文書/鎌倉遺文二六)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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