箱根関所跡(読み)はこねせきしよあと

日本歴史地名大系 「箱根関所跡」の解説

箱根関所跡
はこねせきしよあと

[現在地名]箱根町箱根

箱根宿の東側にあり、前方屏風びようぶ山、後方芦ノ湖がある。中世の関所は箱根宿の西端芦川あしかわにあった(康暦二年六月八日「関東公方足利氏満御教書」県史三)。近世関所の設置年代には諸説があり、「徳川実紀」慶長一九年(一六一四)一〇月一七日条に大坂に密行しようと箱根まで来たものが「関守のため留められ」とあり、この頃にはすでになんらかの形の関所が設置されていたと思われる。しかし「風土記稿」によれば、この頃の関所は元箱根もとばこねの箱根権現一ノ鳥居近くにあったという。箱根関所が箱根宿に隣接する場所に設置されたのは、箱根宿が開設された翌年の元和五年(一六一九)で、関所定番人の証言によると「元和五癸未仲春 只今之御場所ニ建申」とある(「箱根御関所定番人并人見女取扱」東海道箱根宿関所史料集)

関所の規模は江戸後期の箱根関所絵図(小田原市立図書館蔵)によれば、正面に五〇坪余りの面番所、隣接して箱根宿側に馬屋、元箱根側に高札場、面番所の正面には足軽番所ノ獄屋があり、関所上部の丘の上には湖水の渡海を監視する遠見番所があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報