箱石村(読み)はこいしむら

日本歴史地名大系 「箱石村」の解説

箱石村
はこいしむら

[現在地名]川井村箱石

片巣かたす村の西に位置。村の中央を、北西から南東にかけて閉伊川が流れ、この流れに沿って閉伊街道が通る。村の西方鈴久名すずくな村境の尾根上に箱石館跡がある。館主は箱石氏。慶長三年(一五九八)門馬新山かどましんざん大権現修復の祝詞(別当文書)に箱石左衛門丞の名がみえる。正保国絵図では高二九石余。元禄十郡郷帳による〆高は田方二石余・畑方二四四石余、当村に鈴久名村夏屋なつや村・川内かわうち村が入るとある。享保三年(一七一八)検地帳(盛岡市中央公民館蔵)では高七四石余。


箱石村
はこいしむら

[現在地名]玉村町箱石

利根川右岸、西は南玉なんぎよく村、北は下之宮しものみや村、東は小泉こいずみ村、南は川井かわい村・飯倉いいぐら村。中央部を利根川の決壊によって生じたと伝える川が南流し、帯状低地をなす。同川は一時期下之宮村境を東流し、利根川に注いだ痕跡がある。「寛文朱印留」に村名がみえ、前橋藩領。寛文郷帳では「箱田村」とみえ田方一二三石余・畑方一七九石余。近世後期の御改革組合村高帳では幕府領、家数四四。天明三年(一七八三)浅間焼けの被害は大きく、砂が多量に降り利根川の泥土が溢れ、七割が不毛の地となったという。同六年には矢川の洪水により被害を受けた。「天保巡見日記」天保九年(一八三八)四月一六日条に、当村・下之宮村・小泉村の惨状が記され、砂六、七尺が堆積し小松・楢のほか、草も生えていないとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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