篠山村(読み)ささやまむら

日本歴史地名大系 「篠山村」の解説

篠山村
ささやまむら

[現在地名]会津若松市湊町(みなとまち)赤井(あかい)

猪苗代湖の北東岸にあり、翁(おきな)島(現猪苗代町)を北東に望む。村名は周囲の山野にササが多いところより名付けたという。笹山とも記される。寛文六年(一六六六)の「会津風土記」には「篠山山篠多此之 帰帆八景一也」とある。元和三年(一六一七)崎川(さきかわ)村肝煎渡部氏が新田をおこし、同八年一村をたてたと伝える。原組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では高一五二石余。化政期の家数一五(新編会津風土記)。


篠山村
しのやまむら

[現在地名]藤岡町藤岡 篠山

赤麻(あかま)沼の南西にあり、北西は藤岡村。内野(うちの)新田村の一で、元禄郷帳に下宮(したみや)村枝郷として村名がみえる。下総古河藩領。享保八年(一七二三)の日光街道野木宿助郷帳(坂本重通文書)には内野長右衛門組とみえ、勤高一三一石。天保(一八三〇―四四)頃の古河藩領村明細帳(茨城県潮田文書)によれば、高一四六石余、田七町三反余・畑二三町三反余。根取高米一石余・永九貫九七〇文、夫永五一五文、大豆三斗余。


篠山村
しのやまむら

[現在地名]石下町篠山

鬼怒(きぬ)川西岸に所在。北は向石下(むこういしげ)村。「結城郡郷土大観」によれば寛文一一年(一六七一)に向石下村を三分して向石下村・杉山(すぎやま)村・篠山村とした。篠山村は元禄郷帳にはみえないが、天保郷帳には「向石下村之内篠山村」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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