デジタル大辞泉
「米友仁」の意味・読み・例文・類語
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べい‐ゆうじん‥イウジン【米友仁】
- 中国北宋の書家・画家。米芾(べいふつ)の子。字(あざな)は元暉(げんき)。号は嬾拙老人。書は黄庭堅に認められ、山水画は父の米芾と並び称された。父を大米というのに対して、小米と呼ばれた。(一〇七二‐一一五一頃)
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米友仁 (べいゆうじん)
Mǐ Yǒu rén
生没年:1074-1151
中国,北宋末から南宋初期にかけての画家。幼名は虎児,字は元暉(げんき)。号は懶拙老人,海嶽後人など。湖北省襄陽の人。米芾(べいふつ)の長子で父を大米,子を小米とも呼ぶ。画家としては父の法を継承し,個々のモティーフの輪郭を強調せず,墨の濃淡と広がりを効果的に用いた雲山図を得意とした。北宋期に大名府小尹となり,南宋に入り将作監,兵部侍郎,敷文閣直学士などに任ぜられた。
執筆者:戸田 禎佑
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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米友仁
べいゆうじん
Mi You-ren
[生]煕寧7(1074)
[没]紹興21(1151)
中国,北宋末,南宋初の文人画家。襄陽 (湖北省) の人。字は元暉 (げんき) ,号は懶拙 (らんせつ) 道人,海嶽後人など。米 芾 (べいふつ) の長男で父を大米というのに対して小米とも呼ばれた。諸官を歴任し,北宋,南宋の交代期には江南の各地を転々とした。父の法 (米法山水 ) を継ぎ山水画を得意とし,米法山水の実際の形成者と考えられる。墨の濃淡の広がりにより江南の自然を写し,それに胡粉を加えて雲気を描いた。代表作『雲山図巻』 (クリーブランド美術館) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の米友仁の言及
【山水画】より
… ただ,北宋時代は唐代と同様,華北山水画が主流をなした時代であり,李成に学んだ范寛,郭熙らが出て[三遠]法を駆使した精緻な空間表現を達成し,江南山水画を圧倒した。江南山水画が再評価されるようになるのは北宋も後期以後,紙や墨などの素材のもつ滲みなどの効果に鋭い感受性を示した米芾(べいふつ)・米友仁父子によってであるが,華北山水画と江南山水画のこういった再対立・再総合の機運は十分熟さないまま,南宋と金とが中国を二分して形づくられる,山水画における南北の複雑な対立状況が出現する。北宋絵画の正統を受け継ぐと自負する金には王庭筠らの文人画家,南宋には四大家と称される李唐,劉松年,馬遠,夏珪ら,北宋画院の伝統を継承する画院画家が現れ,それぞれの絵画史の基調を作りあげた。…
【樹法】より
…樹木は人物・山水・花鳥画の重要な構成要素であり,古来多くの画法が発明された。唐の韋偃(いえん)は竜をかたどった松,張璪は孤高におごる松,宋の李成・郭熙は君子を象徴すると同時に奇怪な寒林,米友仁は無根樹,馬遠は車輪蝴蝶の松,元の倪瓚(げいさん)はまばらな蕭散とした雑樹をかいた。また根,幹,枝,葉の各部も多様に分かれ,根は露根,枝は鹿角,蟹爪,葉は点葉,夾葉などの画法があった。…
※「米友仁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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