米国とイランの関係(読み)べいこくといらんのかんけい

知恵蔵 「米国とイランの関係」の解説

米国とイランの関係

米・トランプ政権が2020年1月、イランの革命防衛隊ソレイマニ司令官を殺害。イランが報復として、イラク内の米軍基地をミサイル攻撃したことから、軍事衝突の危機が高まった。イランのパーレビ王朝時代、両国の関係は良好だった。しかし、イラン革命を導いた宗教指導者ホメイニが、1979年4月にシーア派イスラム国家(イラン・イスラム共和国)の建国を宣言すると一転。イランはパーレビ国王の事実上の亡命を受け入れた米国を強く非難し、「大悪魔」と呼んだ。同年11月には、革命を支持するテヘランの学生がパーレビ国王の引き渡しを求め、米国大使館を襲撃した。学生たちは外交官とその家族52人を人質に取り、444日間も拘束した。米国は人質救出作戦を実行したが途中で失敗。翌80年、両国は国交を断絶した。この米大使館占拠事件を機に、米国民は強い反イラン感情を抱くようになり、米政府は84年にイランを「テロ支援国家」に指定した。ホメイニの死去(89年)の後も両国の対立は収まらず、2002年には米ブッシュ大統領がイランを「悪の枢軸国」と名指しで批判した。
これ以降は、イランの核開発疑惑が焦点となる。02年8月、イラン国内のウラン濃縮工場の存在が指摘されると、イランは軍事転用を否定しながらも、国際原子力機関(IAEA)の要請を受け、濃縮ウランの製造を中止した。しかし06年、強硬派アフマディネジャド大統領がウラン濃縮を再開したことで、米国はイランに経済制裁発動。アフマディネジャド大統領は対立姿勢を崩さなかったが、13年に大統領に就任した穏健派ロウハニは経済回復を優先し、米オバマ大統領と接近した。協議の結果、イランと米国を含む6カ国は15年7月、イランが核兵器開発を大幅に制限すること、イランへの経済制裁を段階的に解除することで合意した。この「イラン核合意」によって雪解けが進むと思われたが、米トランプ大統領が18年5月に核合意から一方的に離脱し、同時にイランへの経済制裁を再開した。欧米諸国はこれを批判したが、米国の強硬姿勢は収まらず、今後、米国抜きの「イラン核合意」の実効性をどう保っていくのか、極めて不透明な状況となった。

(大迫秀樹 フリー編集者/2020年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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