プロ野球選手(投手:右投右打)。3月3日、鳥取県生まれ。境(さかい)高から阪急ブレーブス(現、オリックス・バファローズ)入りし、1年目の1956年(昭和31)から51試合に登板、9勝をあげた。翌1957年には21勝し、以降、19年連続2桁(けた)勝利をあげたが、これは歴代1位の記録(2015年時点)である。1962年に奪三振王となったのが初のタイトルで、1966年には25勝で最多勝利、18年目の1973年には最優秀防御率も手にした。弱小チームであった阪急を支え続け、のちに西本幸雄監督時代には、1967年から6年間で5回のリーグ優勝という黄金時代の一翼を担った。しかしいずれの年も日本シリーズでは読売ジャイアンツ(巨人)に敗れた。阪急が初の日本一となった1975年のシーズン途中で阪神タイガースへ移籍、1977年の近鉄バファローズ(のちの大阪近鉄バファローズ)を最後に、現役を引退した。並はずれたスタミナの持ち主で「ガソリンタンク」の異名をとり、プロ野球記録の通算949試合登板を果たし、歴代2位の通算350勝をあげた。
[出村義和]
22年間の通算成績は、登板試合949、投球回5130、350勝285敗、防御率2.91、奪三振3388、完投262、完封64。獲得したおもなタイトルは、最多勝利1回、最優秀防御率1回、最多奪三振1回、最優秀選手(MVP)1回。2000年(平成12)野球殿堂(野球殿堂博物館)入り。
[編集部 2016年9月16日]
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