粉河寺跡
こかわでらあと
[現在地名]宇都宮市本町
現在の宇都宮郵便局・栃木会館・県庁前公園一帯にあった天台宗の大寺。松平忠弘時代の城下図(東大史料編纂所蔵)によれば、宇都宮大明神の西側に御旅所・浄鏡寺が並び、南北の道を隔てた西に四方を道路に囲まれて粉河寺が記される。南西端を釜川が流れ、西に光明寺・地福院がある。安楽山延寿院と号し、本尊千手観音。南面する山門が池上町に通じているので同町所属ともいわれたが、裏は塙田村で、八幡山の八幡宮も粉河寺の支配であったため、塙田村の内ともいわれた。宇都宮氏綱は北朝軍に従い南朝軍と合戦し、応安三年(一三七〇)七月紀州粉河寺(現和歌山県那賀郡粉河町)で病死した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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