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粟津高明 あわづたかあきら

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

粟津高明
あわづたかあきら

[生]天保9(1838).4.29. 近江,膳所
[没]1880.10.29. 東京
プロテスタント信者。海軍兵学寮で学び,のち兵学校教官。明治1 (1868) 年横浜で受洗。外国宣教師と意見が合わず,新栄橋教会を離脱,日本公会の設立を試みた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

粟津高明 あわづ-たかあきら

1838-1880 明治時代の宗教家。
天保(てんぽう)9年4月29日生まれ。もと近江(おうみ)(滋賀県)膳所(ぜぜ)藩士。J.C.ヘボン,J.H.バラに英語,キリスト教をまなび,慶応4年洗礼をうける。明治6年東京日本基督(キリスト)公会を建設し長老となる。のち独立して東京麻布に無教派主義の日本公会を設立。明治13年10月29日死去。43歳。通称ははじめ桂二郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

粟津高明

没年:明治13.10.29(1880)
生年:天保9.4.29(1838.5.22)
明治前期のキリスト教牧師。江戸生まれ。最初は桂二郎と称した。近江滋賀郡の膳所藩士であったが,維新前に脱藩。横浜でJ.C.ヘボン,J.H.バラなどから英語を学ぶ。目的は西洋事情を知るためであったが,キリスト教に接し感服し,明治1(1868)年バラから受洗。「公会名簿」の最初に名前が記されている。その後海軍兵学寮(のち兵学校)で英語を死ぬまで教授するとともに,学生たちに伝道をする。築地の新栄教会の会員であったとき,宣教師からの独立を主張し,麻布の自宅に「日本基督教会」(霊南坂教会の源流)を設立し,牧師となる。教会の独立・自治を強く主張したユニークなキリスト者であった。<参考文献>佐波亘編『植村正久と其の時代』2巻

(原島正)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

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