糠部郡(読み)ぬかのぶぐん

日本歴史地名大系 「糠部郡」の解説

糠部郡
ぬかのぶぐん

鎌倉時代初期からみえる郡名。郡域は県北部の馬淵まべち川流域(現二戸郡・二戸市・九戸郡・岩手郡葛巻町などの地域)から、現青森県東半部に及ぶ。「大日本地名辞書」は「続日本紀」宝亀元年(七七〇)八月一〇日条にみえる「蝦夷宇漢迷公宇屈波宇」の宇漢迷を「うかぬめ」と訓じ、これが糠部に転訛したとするが未詳。糠部の初見は「吾妻鏡」文治五年(一一八九)九月一七日条にみえる寺塔已下注文で、藤原基衡毛越もうつう建立にあたって、仏師雲慶に与えたもののなかに「糠部駿馬五十疋」とみえ、この地が古くからの馬産の中心地であったことが知られる。しかし同年九月三日条には藤原泰衡が「差夷狄嶋、 赴糟部郡」とある。泰衡がめざした「夷狄嶋」は北海道にあたり、その手前の糟部郡は糠部郡の誤記とされ、これが郡名の初見となる。以上のことなどを根拠として建郡の時期を藤原氏の時代とする説もある。

寛元四年(一二四六)一二月五日の北条時頼下文(常陸宇都宮文書)によると、平盛時が「糠部五戸」の地頭代職に補任されており、文治五年の奥州合戦後の郡地頭は北条氏であった。


糠部郡
ぬかのぶぐん

青森県東半部から岩手県北部にかけての地域をさす中世の郡名。糠部という地名の初見史料は「吾妻鏡」文治五年(一一八九)九月一七日条に引かれた中尊寺衆徒らの寺塔已下注文で、平泉藤原氏二代目の基衡が毛越もうつ(現岩手県西磐井郡平泉町)建立にあたって仏師雲慶に与えた「功物」のなかに「糠部駿馬五十疋」があったというが、糠部郡の初見史料は次掲の寛元四年(一二四六)の北条時頼下文(「常陸宇都宮文書」鎌倉遺文)である。

<資料は省略されています>

この文書にみえる「五戸ごのへ」が、貞和五年(一三四九)一一月二九日付の熊野党奥州先達系譜(和歌山米良文書)にみえる「ぬかのふの内九かんの戸」や、また戦国時代の馬術家八条近江守房繁の作とされる糠部九箇部馬焼印図(古今要覧稿)が示すように、糠部郡に置かれた一戸―九戸という九部(戸)制の一つとみるべきことは論をまたない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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