糸満漁港(読み)いとまんぎよこう

日本歴史地名大系 「糸満漁港」の解説

糸満漁港
いとまんぎよこう

現糸満市の北西部にある港。糸満漁業の本拠地。古くは糸満いちまん浦とよばれ、報得むくいり川の河口に発達したサンゴ礁と藻場で糸満いちまん村民によって漁業が営まれてきた。初めは浜に舟を揚げていたと思われる。明治八年(一八七五)に琉球藩内の景況視察のため慶良間けらま諸島を巡回した河原田盛美は、慶良間から那覇に帰ろうとしたが風波が激しく、一一月一八日糸満の津に着船している(「琉球紀行」沖縄県史)。一八八四年の「沖縄県地誌略」には糸満村は報得川の南の海浜にあって狭隘の地に九〇〇余の人家があり、多くが漁業で生計を営むとみえる。八五年の兼城間切各村内法(沖縄県史)によると糸満村の海は南海・中海・西(北のこと)海の三つに分けられ、西村にしむら仲村なかむら新島みーじまの各村が一ヵ年回りで所持し、魚が寄るときは各所持の海から収穫した。所持以外の海から取れば罰金が科せられた。旧暦の四月上旬、五月三日、七月一三日・一五日、八月上旬には一七歳から四九歳まで男は総出でタタチャーという漁法で海神や先祖の祭のために魚を捕った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報