きしゅうこうざん
紀州鉱山
Kishu mine
三重県熊野市紀和町にあるCuの鉱脈鉱床。白亜~古第三紀の砂岩・頁岩を基盤とし,不整合に中新統の頁岩・砂岩・礫岩が分布。その上を熊野酸性岩類が覆う。N-S系・E-W系・NW-SE系の鉱脈が20km×3kmの範囲に約30条分布。鉱化作用は早期からCu-FeS2期,Cu-Pb-Zn期,Au-Ag期,方解石期に分けられ,Au-Ag期のアデュラリアのK-Ar年代14.5Ma。鉱石鉱物は黄鉄鉱・黄銅鉱・方鉛鉱・閃亜鉛鉱・自然金・輝銀鉱・錫石・灰重石。脈石鉱物は石英・緑泥石・方解石・蛍石・アデュラリア・セリサイト。延元年間(1336~40)には稼行。1934~78年(閉山)の産出粗鉱量940万t, 品位Cu1.11%,S7.0%。
執筆者:佐藤 憲隆
出典 平凡社「最新 地学事典」最新 地学事典について 情報
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紀州鉱山 (きしゅうこうざん)
三重県熊野市の旧紀和町にあった銅鉱山。鉱床は中生層,第三紀層のケツ岩に生じた割れ目を充てん(塡)した割れ目充てん多金属鉱脈で,多数の鉱脈が広い範囲に分布している。非常に古い時代の発見とされ,長い間,日本の重要鉱山の一つとして稼行されてきたが,1978年に操業を停止した。
執筆者:山口 梅太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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紀州鉱山
きしゅうこうざん
三重県南部,熊野川の支流楊枝川の流域にあった銅山。開発は付近の室谷,十薬 (とぐすり) ,大栗須 (おおぐるす) などの銅山とともに慶長年間 (1596~1615) から始り,和歌山藩や新宮藩により経営された。その後,石原産業が買収して紀州鉱山と呼ばれた。鉱石は,昔は楊枝川口まで人力で運び,そこから熊野川の水運を利用して新宮に出した。 1941年索道ができてからは,阿田和駅から貨車で浦神港へ送られ,船で四阪島や佐賀関に運搬されて精錬されたが,78年5月に閉山された。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の紀州鉱山の言及
【紀和[町]】より
…古くから鉱山が開発された地域で,当地の産金は慶長小判や桃山城,日光東照宮の造営に使われたという。昭和初期に一時採掘は中断されたが,1934年より石原産業が紀州鉱山として操業を再開し,第2次大戦中は銅,硫化鉄をおもに産出する鉱山として繁栄した。その後鉱脈が衰えたため78年に鉱山は閉鎖され,深刻な過疎化問題が起こっている。…
※「紀州鉱山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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