改訂新版 世界大百科事典 「石原産業」の意味・わかりやすい解説
石原産業[株] (いしはらさんぎょう)
第2次大戦前は南洋各地の鉱山開発会社として隆盛,敗戦により在外資産を失ったが,戦後は酸化チタン(国内1位),農薬を中心とする化学会社として再生。本社大阪市西区。マレー半島でゴム栽培事業を行っていた石原広一郎(1890-1970)が1919年ジョホール州でスリメダン鉱山を発見,その事業化のため20年9月大阪市に合資会社南洋鉱業公司を創設したのに始まる。24年には鉱石輸送のため海運業にも進出。29年石原産業海運合資会社に改称(1934年株式会社)。同年三重県で紀州鉱山の開発に着手,また41年には鉱石から製品への一貫作業をめざして四日市工場を建設,銅製錬,硫酸,化学肥料の製造を行った。第2次大戦中は東南アジア各地で鉄,ボーキサイト,マンガン,スズなどを独占して日本に供給,膨大な利潤をあげ,関連企業とともに一大コンツェルンを形成した。43年海運業を切り離し現社名に変更。
敗戦で海外事業は壊滅し,戦後は,紀州鉱山産出の銅鉱を自社製錬するための四日市工場を拠点に事業を再構築してきた。銅製錬の際の副産品硫酸を利用する化学肥料を手がけるほか,硫酸を活用する酸化チタンに進出,現在この分野の世界的メーカーである。農薬部門,磁性粉部門等,経営を多角化している。資本金420億円(2005年9月),売上高965億円(2005年3月期)。
執筆者:中田 智夫
石原産業事件
石原産業は四日市公害裁判の被告(ほかに昭和四日市石油,三菱油化,三菱化成工業,三菱モンサント化成,中部電力の5社)となったほか,1968-69年に酸化チタン製造工程の廃硫酸を多量に含む排水(日量20万t)を四日市港に排出したことにより,当時の工場長2人が港則法違反などに問われ,80年3月17日に有罪判決(一審)をうけた。同年4月1日確定。
執筆者:加藤 邦興
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報