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紀男麻呂 きの おまろ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

紀男麻呂 きの-おまろ

?-? 6世紀後半の武人。
欽明(きんめい)天皇23年(562)大将軍として新羅(しらぎ)(朝鮮)に派遣され,新羅軍をやぶる。用明天皇2年には蘇我馬子(そがの-うまこ)にしたがい,物部守屋(もののべの-もりや)を討つ。崇峻(すしゅん)天皇4年任那(みまな)再興のため筑紫(つくし)まで出陣したが,天皇暗殺事件がおきたため推古天皇3年都にもどった。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

きのおまろ【紀男麻呂】

6世紀後期の武将。生没年不詳。562年(欽明23),任那官家を滅ぼした新羅を問責する軍がおこされたとき,大将軍として出征。哆唎(たり)より任那に出撃したが,機密の文書を奪われ,新羅軍の急襲をうけた。副将河辺瓊缶(にえ)は敗れて捕らえられたが,男麻呂はよく敵を撃破して撤退した。のち蘇我・物部両氏の抗争には馬子に従って守屋討伐軍に加わる。591年(崇峻4)巨勢猿(こせのさる),大伴嚙(くい),葛城烏奈良(おなら)とともに任那再興の大将軍に任じられ,2万余の軍を率いて筑紫に進んだが,翌年天皇弑逆の異変が起こり,結局渡海せず,595年(推古3)筑紫より帰った。

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