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経済相互援助会議 けいざいそうごえんじょかいぎ Council for Mutual Economic Assistance;CMEA

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

経済相互援助会議
けいざいそうごえんじょかいぎ
Council for Mutual Economic Assistance;CMEA

第2次世界大戦後の冷戦期において,旧ソビエト連邦東ヨーロッパ諸国など共産主義諸国の間で活動を展開した経済協力機構ロシア語名称は Sovet Ekonomicheskoi Vzaimopomoshchi,略称セフ SEV

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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大辞林 第三版の解説

けいざいそうごえんじょかいぎ【経済相互援助会議】

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

経済相互援助会議
けいざいそうごえんじょかいぎ
Council for Mutual Economic Assistance英語
Совет экономической взаимопомощи Sovet ekonomicheskoy vzaimopomoshchi ロシア語

旧ソ連、東欧諸国を中心とする国際経済協力機構。英語ではCMEA、ロシア語ではСЭВ(セフ)と略称されるが、西側諸国では一般にCOMECON(コメコン)という通称でよばれることが多い。[佐藤経明]

成立

コメコンは1949年1月、当時の冷戦下の西側による経済封鎖に対抗し、自給自足体制を確立することを目的として創設されたもので、原加盟国はソ連、ブルガリア、ルーマニア、チェコスロバキア、ハンガリー、ポーランドの6か国。1か月後にアルバニアが加盟したが、1961年以降脱退したも同然の状況となった。その後、東ドイツ(1950)、モンゴル(1962)、キューバ(1972)、ベトナム(1978)が加盟したため、1984年の正式加盟国は10か国であった。このほかユーゴスラビア(1964)が準加盟国の地位に、フィンランド(1973)、イラク(1976)、メキシコ(1976)の3か国が非社会主義協力国の地位にあり、アンゴラ、南イエメン、エチオピアがオブザーバーということになっていた。したがって、コメコンをソ連、東欧諸国だけの機構ということはできないが、ソ連、東欧諸国が主体であったことは間違いない。[佐藤経明]

機構と性格

コメコンの本部はモスクワに置かれ、最高議決機関は総会(各国首相が出席し、普通年1回開催)だったが、とくに重要な問題に関しては、加盟国党・政府首脳会議(いわゆるコメコン・サミット)が開かれたことがある。総会の下に執行委員会(各国の副首相クラスで構成、少なくとも2か月に1回開催)、事務局、全部で22の常設委員会があり、さらに科学研究所、代表者会議、特別の専門委員会をもち、そのほかにコメコンの直接下部機関ではないが、石油パイプライン「友好」、統合電力網「平和」、国際経済協力銀行(コメコン銀行)、国際投資銀行(コメコン投資銀行)、共同貨車プール、鉄鋼業国際協力機構(インテルメタル)、国際ベアリング協力機構、国際化学工業協力機構(インテルヒム)を関連機構としてもっており、機構としてはかなり大規模なものであった。
 コメコンはしばしば「赤いEC」とよばれ、西欧のヨーロッパ共同体(EC)と比較されたが、その実体には大きな違いがあった。コメコンはECと違って超国家機構ではなく、総会の決議はすべて「勧告」として全会一致原則で採択され、多数決で押し付けられることはなかった。先にあげた各種関連機構もすべて「関心性の原則」で設立されており、「関心」をもたない国は態度を保留し、あとで参加することができた。コメコンの活動目的が「統合」でなく「相互調整」である、とされてきたのは、このことによる。もともとコメコンは、EC(現EU)のように巨大化した生産力が国境障壁を乗り越えて市場統合を求めたのとは、成立の事情からして大きな違いがあった。[佐藤経明]

成果と問題点

コメコンで達成された最大の成果は、(1)原料およびエネルギーの相互供給による自給体制の確立、(2)長期協定により加盟国の輸出製品に安定した市場を保障し、とくに域内発展途上国の工業化を助けたこと、(3)政治的安定に役だったこと、であったが、反面、域内の国際分業ははかばかしく進まず、1960年代には域内貿易の成長率も鈍化し始めたばかりか、世界市場から切り放された「保護市場」に安住していたため、技術革新の面で西側との格差も大きく開いた。このため1960年代後半からコメコン再編成をめぐる討議が続けられて、1971年に採択された「社会主義経済統合の総合計画」に集大成され、経済統合が目標として掲げられた。しかし、この「総合計画」は、政府レベルの計画的調整に力点を置く内向き志向のソ連と、より共同市場的な方向を目ざす開放体制志向の東欧諸国との間の妥協的決着にすぎず、それすら1973年のオイル・ショック後の世界経済環境の激動に面して、ほとんど具体化されなかった。
 コメコンの基本矛盾の第一は、それがソ連から東欧への資源・エネルギー供給を太い軸とする放射線状の「資源統合」の形をとり、各国相互間の横の連関が弱いことであり、第二は、コメコンの協力メカニズムが、従来のソ連型の集権的計画経済を国際的に再版したものだったことである。コメコン諸国間の経済関係は、市場機構を極度に排除した一種の物動型計画経済を国際的に「投影」したもので、市場の諸要因はほとんど作用しなかった。貿易は一種のバーター貿易であり、実勢為替(かわせ)レートもなく、通貨の交換性もなかった。したがって国際分業の効率を決める規準も不明確ということになる。第三は、世界経済に対し開放体制を志向するか、より閉鎖体制を志向するかの問題であった。1970年代末から1980年代初めの東欧累積債務危機後、コメコンは開店休業状態に入っていたが、「東欧革命」後の1991年6月解体された。[佐藤経明]
『T・キッシュ著、名島修三訳『開放経済と国際分業』(1974・合同出版) ▽野々村一雄著『コメコン体制』(1975・岩波書店) ▽竹浪祥一郎他著『計画と市場』(1981・勁草書房)』

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世界大百科事典内の経済相互援助会議の言及

【COMECON】より

…正式の名称は,経済相互援助会議CMEA(Council for Mutual Economic Assistanceの略),ロシア語ではセフSEV(Sovet Ekonomicheskoi Vzaimopomoshchiの略)という。1949年1月,当時の冷戦下の経済封鎖に対抗して自給体制の確立を図るために設立されたソ連,東欧諸国の国際経済機構であったが,ソ連・東欧における体制転換の進展により91年解散した。…

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