結城寅寿(読み)ゆうきとらじゅ

改訂新版 世界大百科事典 「結城寅寿」の意味・わかりやすい解説

結城寅寿 (ゆうきとらじゅ)
生没年:1818-56(文政1-安政3)

幕末期の水戸藩士。諱(いみな)は朝道,寅寿は通称。1824年(文政7)家禄1000石を継ぎ寄合組。40年(天保11)に小姓頭,若年寄。42年執政。このころから派閥を形成して藤田東湖ら藩政改革派対立。44年(弘化1)藩主徳川斉昭が致仕すると,保守門閥派の中心人物として藩政の実権を握った。しかし改革派の反撃にあい47年に隠居,のち53年(嘉永6)長倉陣屋に幽閉され,56年死罪に処せられた。
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朝日日本歴史人物事典 「結城寅寿」の解説

結城寅寿

没年:安政3.4.25(1856.5.28)
生年:文政1(1818)
幕末の水戸藩門閥派の巨頭。諱は晴朗,のちに朝道。寅寿と称す。父は結城晴徳。1000石。6歳で家督相続。天保4(1833)年小姓,藩主徳川斉昭に寵愛され,11年に若年寄,同12年に御勝手改正掛,同13年執政。門閥派を代表して執政戸田忠太夫ら改革派と対抗。弘化1(1844)年,斉昭ら改革派が幕府により処罰されたとき,処分されなかった。翌年,大寄合頭並になったが実権を維持。幕府老中首座阿部正弘と徳川斉昭の関係改善に従い,幕命により同4年10月,隠居,家禄500石召し上げ。門閥派の勢力回復を狙って嘉永6(1853)年に密書を藩主徳川慶篤に呈したために幽閉,安政3(1856)年,藩主暗殺未遂のかどで斬罪。

(吉田昌彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「結城寅寿」の解説

結城寅寿 ゆうき-とらじゅ

1818-1856 江戸時代後期の武士
文政元年生まれ。結城晴徳の次男常陸(ひたち)水戸藩士。御前小姓から若年寄,執政となる。門閥派(結城派)の中心となり,藤田東湖らの改革派と対立。天保(てんぽう)15年藩政の実権をにぎったが,藩主徳川斉昭(なりあき)が復帰すると隠居させられ,安政3年4月25日死罪となった。39歳。名は晴明,朝道。

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