六訂版 家庭医学大全科 「結核の歴史」の解説
結核の歴史
(呼吸器の病気)
約6000年前のエジプト古代王朝のミイラに、
日本には弥生時代後期の3世紀ごろに渡来人とともに渡ってきたと推定されています。日本でも大流行は、明治に入って富国強兵政策のもと、紡績産業に、多くの若年女工が低賃金、粗食、劣悪な作業環境で従事した時に端を発します。
以来、貧しい人々の都市集中(狭い住居での大家族)と劣悪な作業環境での長時間労働、そして狭い兵舎で集団生活をする軍隊、医療行政の後退した太平洋戦争などが結核
その後、抗結核薬のストレプトマイシン(SM)、イソニアジド(INH)、パラアミノサリチル酸(PAS)が開発されて、ようやく減り始めました。
1965年ころからリファンピシン(RFP)を使えるようになったことも、大いに貢献しています。もちろん、戦後の驚異的な経済再発展のおかげで、敗戦後の食料難から解放されて栄養状態も改善したことと、結核予防法の改定(1951年、集団検診の普及、BCG接種、排菌患者の早期
しかし、1997年以後、患者さんの数はかえって微増となりました。微増の理由は、①高齢の結核患者の増加、②学校・病院での若年未感染者の集団感染、③医療機関での集団感染、などです。
出典 法研「六訂版 家庭医学大全科」六訂版 家庭医学大全科について 情報