日本大百科全書(ニッポニカ) 「絹馬交易」の意味・わかりやすい解説
絹馬交易
けんばこうえき
古代から中国の絹と北方遊牧国家のヒツジ、ウマとが官貿易方式によって交換される交易をよぶとともに、これに伴う農牧両世界の政治経済関係をさす。そのなかで、漢と匈奴(きょうど)、唐と突厥(とっけつ)・回紇(かいこつ)(ウイグル)との間に行われた絹とヒツジ、ウマとの交易は典型的なものであった。北方遊牧国家の君主は商品として価値ある絹を中国に求め、略奪と侵略行為を自制することによって中国の絹の大量入手を図り、自国のヒツジ、ウマ、とくにウマと交換することを要求し、中国政府もこの取引を承諾した。その方法として中国はヒツジ、ウマを貢納として受け、絹を歳幣(さいへい)の形で遊牧国家の君主に贈り、これによって両国の政治、経済関係の安定を維持した。また、辺境の取引場で交易することを互市(ごし)、関市(かんし)といい、ここでも絹馬交易が国家管理され、さらに外国の朝貢使への返礼や私貿易によっても絹馬交易が行われた。18、19世紀にイリ、タルバガタイで行われた清(しん)朝とカザーフ(哈薩克)王侯との絹馬交易は北アジア史上最後のものであった。
[佐口 透]