日本大百科全書(ニッポニカ) 「遊牧国家」の意味・わかりやすい解説
遊牧国家
ゆうぼくこっか
遊牧民族が建てた国家。遊牧はきわめて粗放、無計画な生産形態であるため、生産力の発展には一定の限度があった。したがって古い社会集団である氏族が長い間温存され、そのうえに形成される国家にも血縁的要素が付きまとった。すなわち遊牧国家では、血統的に近い氏族が集まって部族をつくり、部族が集合して国家を建て、そのうちもっとも有力な部族長が君主になるのが普通であった。このため遊牧国家の特徴は部族連合国家である点にあり、たとえば匈奴(きょうど)では、単于(ぜんう)を出す攣鞮(れんてい)氏族、およびこれと通婚する特権をもつ呼衍(こえん)、須卜(すぼく)、蘭(らん)、丘林(きゅうりん)諸氏族が支配階層をなし、その下に丁令(ていれい)、鮮卑(せんぴ)、烏桓(うがん)、呼掲(こけい)などの諸部族が被支配階層として連合していた。また東突厥(ひがしとっけつ)は、ハガン(可汗)を出す阿史那(あしな)氏族およびこれと通婚する阿史徳(あしとく)氏族からなる「貴族たる氏族群」を中核とし、その周囲に鉄勒(てつろく)、キルギス、カルルク、柔然(じゅうぜん)、契丹(きったん)、靺鞨(まっかつ)など被支配部族を、「平民たる部族群」として従え集めた部族連合国家であった。そのほか、ウイグル国家が九姓ウイグルとよばれているのも、それが主要な9個の部族からなる連合体であったことを示している。
以上のように、遊牧生産は発展性に乏しいため、北アジアの遊牧国家はかならずトルキスタンを支配下に収め、中国と西アジアまたはインドとを結ぶ交通路を抑えて、それを利用する隊商から各種の物資、商品を通行税として収奪した。隊商は遊牧国家によって交通の安全を保障され、遊牧国家はその代償として隊商から物資、商品を納めさせて経済的利益を得た。匈奴をはじめ突厥、ウイグルなどがトルキスタンの支配をめぐって中国の諸王朝と戦ったのも、またチンギス・ハンがホラズム(フワーリズム)・シャー朝に隊商を派遣したのも、東西交易路を掌握するためであった。そのほか遊牧国家は、北方の森林地帯の特産物である毛皮類を中国へ、中国の絹製品、農産物を北方へ中継貿易することによって利益を得た。遊牧国家の発展は、けっして単なる軍事行動ではなく、このような商業路の支配と市場の開拓とを目的とするものだったのである。北アジアの遊牧国家が東西文明の交流に大きな役割を果たしたのは、それらが重要な東西交通路を支配していたからである。
[護 雅夫]
『護雅夫著『古代遊牧帝国』(中公新書)』