綾戸村
あやどむら
[現在地名]竜王町綾戸
川守村の西、雪野山と鏡山の間に広がる平野の中央部に位置する。村境は四方とも条里の坪界線により直線。地名は古代綾部が住していたことに由来すると伝え、小字下大領・上大領は郡司の職田にちなむとする説もある。那牟羅彦神・那牟羅姫神など三神を祀る苗村神社が鎮座するが、古く当地は那牟羅と称し、帰来した新羅の王の子天日槍がしばらく住したという、「日本書紀」垂仁天皇三年三月条にみえる「近江国の吾名邑」を当地のこととする説もある。徳治二年(一三〇七)三月一八日の沙弥道智井料田日記(左右神社文書)に「あやと井、慈仏殿」「あやと井、五郎兵衛」とあり、苗村神社の文明六年(一四七四)の鳥居造立棟札(同社蔵)には「加治之大工□戸与一」「時之聖綾戸住人範祐」、同一二年一〇月二〇日林村道誓田地売券(左右神社文書)には「入方綾戸散在一色渫斗三升」などとみえる。
綾戸村
あやどむら
[現在地名]垂井町綾戸
表佐村の北東に位置する。地名は渡来人漢氏に由来するという(新撰美濃志)。慶長郷帳にあやと村とみえ、高二八五石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では徳永昌重(高須藩)領。正保郷帳では幕府領で田高八〇石余・畑高一九九石余、ほかに野年貢五石があった。元禄郷帳でも幕府領だが、明和七年(一七七〇)には大垣藩預所となっている(岐阜県史)。天保九年(一八三八)の村明細帳によれば家数七八・人数三三二。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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