置塩城跡(読み)おしおじようあと

日本歴史地名大系 「置塩城跡」の解説

置塩城跡
おしおじようあと

[現在地名]夢前町宮置糸田

南流する夢前川左岸に位置するしろ山に築かれた室町時代後期の山城跡。国指定史跡。小塩城とも書く。応仁の乱で播磨の支配を回復した赤松政則が文明元年(一四六九)築城したとされるが(赤松家播備作城記)、当時の政治状況からは山名政豊が但馬に引上げた長享二年(一四八八)頃の築城と考えられる。城主は政則の後、義村・晴政(政村)・義祐・則房と続き(「光明寺由緒覚書写」光明寺文書)、後期赤松氏の本城となる。永正一一年(一五一四)いかるが(現太子町)小宅おやけ(現龍野市)との間の用水争論に対する守護赤松義村の裁定を仰ぐため、当事者が八月一九日から二八日まで置塩に滞在している(「鵤庄引付」斑鳩寺文書)。また同一六年には年貢に関する譴責使者の撤退を、鵤庄から置塩の櫛橋則高に申入れている(鵤庄引付)。則高は義村の奉行衆で、義村が政則の後を継いだ直後から置塩におり(一二月一五日「櫛橋則高書状」清水寺文書)、置塩は守護所として機能していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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