日本歴史地名大系 「美作道」の解説
美作道
みまさかみち
〔古代・中世〕
古代は播磨国府と美作国府を結ぶ山陽道の支路であった。官道として整備され駅家が配置されるのは、和銅六年(七一三)に備前国の北部六郡を割いて美作国が設置されてからであろう(「続日本紀」同年四月三日条)。しかしこれ以前から、播磨を経て美作へ通ずる道は美作の鉄を運ぶ重要な道であったとされる。美作地方における製鉄遺跡は、六世紀末ないし七世紀初頭の岡山県
美作道は単に播磨と美作を結ぶだけでなく、山陰と畿内を結ぶ道としても重要な意味をもっていた。「播磨国風土記」部野に宿り、乃ち病を得て死せき、その時、雲の国の人、来到たりて」とある。このほか同書には出雲・伯耆・因幡との往来の説話が多く載せられている。「延喜式」兵部省の山陽道に「播磨国駅馬、明石卅疋、賀古
疋、草上卅疋、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報