美作道(読み)みまさかみち

日本歴史地名大系 「美作道」の解説

美作道
みまさかみち

近代以前に山陽道と美作国を結んだ道。時代によってルートは異なるが、姫路市からほぼJR姫新線や国道一七九号に沿って北西に延びる。

〔古代・中世〕

古代は播磨国府と美作国府を結ぶ山陽道の支路であった。官道として整備され駅家が配置されるのは、和銅六年(七一三)に備前国の北部六郡を割いて美作国が設置されてからであろう(「続日本紀」同年四月三日条)。しかしこれ以前から、播磨を経て美作へ通ずる道は美作の鉄を運ぶ重要な道であったとされる。美作地方における製鉄遺跡は、六世紀末ないし七世紀初頭の岡山県久米くめ大蔵池南おおぞういけみなみ製鉄遺跡が古いが、五世紀築造の同県柵原やなはら町の月の輪つきのわ古墳からも鉄滓が出土している。播磨でも上月こうづき金屋中土居かなやなかどい遺跡などで製鉄遺構が検出されている。「播磨国風土記」讃容さよ郡の条に「山の四面に十二の谷あり、皆、鉄を生す」とあり、孝徳天皇に初めて鉄を貢進したという説話を載せる。また大官大寺跡出土木簡に「讃用郡駅里鉄十連」と記すものがあり、鉄の貢納を示している。

美作道は単に播磨と美作を結ぶだけでなく、山陰と畿内を結ぶ道としても重要な意味をもっていた。「播磨国風土記」揖保いぼ立野たちの(龍野)の条には「昔、土師弩美宿禰、出雲の国に往来ひて、部野に宿り、乃ち病を得て死せき、その時、雲の国の人、来到たりて」とある。このほか同書には出雲・伯耆因幡との往来の説話が多く載せられている。「延喜式」兵部省の山陽道に「播磨国駅馬、明石卅疋、賀古疋、草上卅疋、大市おふち、布勢、高田、野磨やま各廿疋、越部こしへ、中川各五疋」と、播磨国九駅の駅名と駅馬の数が載る。前の七駅は大路の山陽道の駅であり、のちの越部こしべ中川なかつがわは美作国に至る小路の美作道の駅である。越部駅は「和名抄」所載の揖保郡越部郷すなわち現新宮しんぐう町越部、中川駅は同書所載の佐用郡中川郷域と考えられる現三日月みかづき末広の新宿すえひろのしんじゆく廃寺付近に比定されている。なお山陽道からの分岐駅については、草上くさのかみ(現姫路市)もしくは大市おおち(現同上)とされる。承徳三年(一〇九九)二月任国因幡に向かった平時範は、山陽道高草駅(古代の草上駅か)から美作道に入り(「時範記」同月一二日条)、佐余(現佐用町佐用)で一泊(同書一三日条)、北上して因幡道をたどり美作国境根さかね仮屋(現岡山県西粟倉村)に到着した(同書一四日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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