美濃郷
みのごう
「和名抄」所載の郷。諸本とも美濃と記すが、ともに訓を欠く。現益田市中垣内町・飯浦町・小浜町・上黒谷町・桂平町・柏原町・市原町・白上町・虫追町・川登町・美濃地町などに比定される(島根県史)。
美濃郷
みのごう
「和名抄」高山寺本・東急本ともに訓を欠く。「日本地理志料」は「弥能」と訓を付し、美努連あるいは三野造の居住地からの郷名とする。「風土記稿」は大住郡蓑毛村(現秦野市)を美濃の遺名かとしながら、高座郡とは二里ほども隔たっているので採りがたいとする。
美濃郷
みのべごう
「和名抄」所載の郷。平城宮跡出土の和銅四年(七一一)の木簡に「(表)三野国本須郡三野
□□□□□□」「(裏)和銅四年□二月」とみえるのが初見であるが、これによればミノベとよめる。おそらく大化前代にこの地を領域としていた美濃国造(本巣国造・三野国造・三野前国造とも表記)の部曲たる「みのべ」にかかわる地名である。
美濃郷
みのごう
「和名抄」諸本とも訓を欠く。郷名は語義からいえば野を表す地名で美は美称の御と考えられ、御野の意味であろう。日野川の東、現米子市北東、淀江町境の二本木に美濃の地名があり、郷域はこの地を中心とした地域、佐陀川の河口地帯の現日吉津村、現淀江町のうちの旧佐陀村地区、現米子市のうちの旧巌村の一部に比定される(鳥取県史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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