岐阜県南部にある市。1963年(昭和38)那加(なか)、稲羽(いなば)、鵜沼(うぬま)、蘇原(そはら)の4町が合併して市制施行。2004年(平成16)川島町(かわしまちょう)を編入。岐阜市の東南に接し、木曽(きそ)川の北岸に位置する工業・住宅田園都市である。市の主要商工業地および住宅地として発展する各務原洪積台地は、表面に強酸性の腐植土壌があり、水利が悪く、1876年(明治9)から砲兵演習場として利用された以外は、明治の中ごろまでほとんど未開発地であった。現在はJR高山本線、名古屋鉄道各務原線、国道21号が通じ、東海北陸自動車道の岐阜各務原インターチェンジがある。鉄道沿線の南北両側は主要市街地あるいは工業地区、住宅地区に変容しており、台地南西部のかつての軍用地に航空自衛隊岐阜基地がある。
工業製品出荷額は、大垣市とともに県下で上位にある。川崎重工業航空宇宙システムカンパニーを主とする輸送用機械をはじめ、一般機械、プラスチック製品、金属製品の製造業など多種の工業が発達している。農業は畑作が中心で、とくにニンジンの栽培が盛んである。近年、市西部の那加から中部の蘇原、東部の鵜沼を通じて、北部一帯の住宅地開発が著しい。古代寺院跡が集まる蘇原地区の「美濃国稲葉郡山田寺塔心礎納置銅壺(みのこくいなばぐんさんでんじとうしんそのうちどうこ)」は国指定重要文化財。各務地区の村国(むらくに)神社境内にある農村歌舞伎(かぶき)舞台「各務の舞台(かかみのぶたい)(村国座)」は国の重要有形民俗文化財に指定されており、現在も毎年10月に子供歌舞伎が演じられる。渓谷美を誇る木曽川は国の名勝であり、一帯は飛騨木曽川国定公園(ひだきそがわこくていこうえん)となっている。面積87.81平方キロメートル、人口14万4521(2020)。
[上島正徳]
『『各務原市の歴史』(1974・各務原市)』▽『『各務原市史』全8巻(1983~1987・各務原市)』
岐阜県南部の市。2004年11月旧各務原市が西に接する川島(かわしま)町を編入して成立した。人口14万5604(2010)。
各務原市中北部の旧市。木曾川北岸にある。1963年那加,蘇原,稲羽,鵜沼の4町が合体して市制。人口13万1991(2000)。市の中央部は各務原台地と呼ぶ洪積台地で,その西および南は沖積平野である。台地は黒ボクと呼ばれる保水力のある土壌でおおわれ,明治初期まではその大半が原野であった。砲兵演習場が明治初年,陸軍飛行場が大正初年に開設され,川崎造船各務原飛行機製作所が昭和初期に建設され,名鉄各務原線(1927),高山本線(1935)の開通とあいまって軍事基地となった。第2次世界大戦後,紡績大工場が台地上や木曾川河岸に進出し,稲羽地区の地場産業である零細な機業も復興した。戦前からあった飛行機,自動車などの輸送機械器具工業がきわだって発展し,金属工業団地が造成されて金属機械器具工業も発達するなど,工業の発展がめざましい。近年には岐阜市,名古屋市のベッドタウンとして台地および丘陵地の住宅地化が進み,人口の急激な増加をみている。東海北陸自動車道の岐阜各務原インターチェンジがある。
執筆者:高橋 百之
各務原市南西部の旧町。愛知県に接する。旧羽島郡所属。人口9774(2000)。木曾川のつくる犬山扇状地の扇央部に位置し,周囲を木曾川に囲まれた中州上にある。国の治水工事が実施されるまでは洪水のたびに遊水池となり,水との闘いが町の歴史であった。現在,町の周りはコンクリートの高い堤防が張りめぐらされ,3本の橋で愛知県側と,1本の橋で岐阜県側と結ばれる。洪水と砂礫(されき)土壌のため農業には適さない。かつては養蚕が盛んであったため地場産業として撚糸・織物業が発達した。現在,繊維と製薬を中心とする製造業が基幹産業で,特に製造品出荷額に占める製薬の割合が大きい。日本で唯一の総合的な内藤記念くすり博物館がある。繊維工業の発展上,古くから愛知県の一宮市との結びつきが強い。
執筆者:上田 雅子
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各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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