肥前忠吉(読み)ひぜん・ただよし

朝日日本歴史人物事典 「肥前忠吉」の解説

肥前忠吉(初代)

没年:寛永9.8.15(1632.9.28)
生年元亀3(1572)
桃山・江戸初期の肥前佐賀の刀工。姓は橋本,名は新左衛門。鍋島家に召し抱えられ,藩主の命によって,慶長1(1596)年京に上り埋忠明寿に作刀を学び,同3年佐賀に戻り鍋島藩工となった。寛永1(1624)年,武蔵大掾を受領すると同時に銘を忠吉から忠広に改めた。作風は明寿風な湾れ刃や直刃が多く,ほかに相州物や備前長義派の作などを倣ったものもあって多様である。子に近江大掾忠広がいて,子孫幕末まで9代続き,いずれも忠吉もしくは忠広を名乗っている。また弟子も多くその門葉は新刀期随一で,作品の数も最も多い。<参考文献>日本美術刀剣保存協会編『肥前刀大鑑』

(原田一敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「肥前忠吉」の解説

肥前忠吉(初代) ひぜん-ただよし

1572-1632 織豊-江戸時代前期の刀工。
元亀(げんき)3年生まれ。肥前佐賀藩工となり,京都の埋忠明寿(うめただ-みょうじゅ)にまなぶ。元和(げんな)10年武蔵大掾(むさしのだいじょう)をさずけられ忠広と改名。直刃(すぐは)を得意とした。寛永9年8月15日死去。61歳。姓は橋本。通称は新左衛門。

肥前忠吉(2代) ひぜん-ただよし

1614-1693 江戸時代前期の刀工。
慶長19年生まれ。初代肥前忠吉の長男。肥前佐賀藩の御用刀工。寛永9年父の没後,忠広をつぐ。18年近江大掾(おうみのだいじょう)をさずかる。作刀には「肥前国近江大掾藤原忠広」の銘がきってある。元禄(げんろく)6年5月28日死去。80歳。通称は平作郎。

肥前忠吉(3代) ひぜん-ただよし

1637-1686 江戸時代前期の刀工。
寛永14年生まれ。2代肥前忠吉の子。肥前佐賀藩の御用刀工。万治(まんじ)3年陸奥大掾(むつのだいじょう)をさずけられ,のち陸奥守(かみ)となった。貞享(じょうきょう)3年1月2日死去。50歳。通称は新三郎。

肥前忠吉(8代) ひぜん-ただよし

1801-1859 江戸時代後期の刀工。
享和元年生まれ。古川松根の兄。7代忠吉の養子となり,8代をつぐ。肥前刀中興の祖といわれ,佐賀藩の大砲製造にもつくした。安政6年5月26日死去。59歳。通称は新左衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の肥前忠吉の言及

【埋忠明寿】より

…刀剣においては刀身に玉追竜や不動明王などの図様を彫り,前時代にはない新生面をみせる。また門下に肥前忠吉,安芸輝広らの逸材を出して,新刀(桃山時代以降の刀)の祖といわれている。短刀に傑作が多い。…

※「肥前忠吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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