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胡林翼 こりんよくHu Lin-yi; Hu Lin-i

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

胡林翼
こりんよく
Hu Lin-yi; Hu Lin-i

[生]嘉慶17(1812)
[没]咸豊11(1861).8. 武昌
中国,清末の官僚,武将。湖南省益陽県の人。字はきょう生。号は潤之。諡は文忠。道光 16 (1836) 年の進士。父の達源に宋学を学ぶ。国子監に入り,まもなく貴州知府となって現地で匪賊討伐などに活躍し功を立て,咸豊4 (54) 年貴東道,次いで四川按察使などを歴任。太平天国軍の天京 (南京) 占拠後の西征による湖南方面進出に対しては,義勇軍を率いて活躍。同5年,湖北布政使から湖北巡撫となり,同年末財政確立のため釐金 (りきん) 制を湖北で始めるとともに反面で田賦などを減じ,民心の安定に努めた。また太平軍と戦って武昌安慶の回復などに活躍し,功によって太子太保銜を加えられ,また騎都尉の爵位をも賜わった。しかし,その後病に倒れ,没した。『胡文忠公遺集』には上奏文などが集録されている。

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世界大百科事典 第2版の解説

こりんよく【胡林翼 Hú Lín yì】

1812‐61
中国,清末の官僚。湖南省益陽県の人。字は貺生(きようせい),号は潤芝。道光16年(1836)進士に及第,貴州省の地方官を歴任,会党や少数民族の反乱を鎮圧した。184年(咸豊4)貴州の郷勇を率いて湖北省に出動し,武昌の太平天国と戦っていらい,曾国藩に協力して湖北省,安徽省の各地を転戦した。56年湖北巡撫に昇進し,61年安慶回復の功により太子太保となったが,間もなく発病し武昌で吐血して死亡した。曾国藩とともに太平天国鎮圧の重要人物の一人で,死後に遺された家産の少なかったことでも知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

胡林翼
こりんよく
(1812―1861)

中国、清(しん)代、太平天国軍の鎮圧に功績のあった政治家、武将。字(あざな)(きょうせい)、号は潤之(じゅんし)。湖南省益陽県の人。1836年の進士。初め貴州省各地の知府を歴任。その間、同地方の秘密結社の反乱を鎮圧するのに腕を振るった。その後、太平天国の乱が起こると、この貴州省の兵を率いて湖南に出兵し、太平天国軍と死闘を繰り返した。戦いの間に湖北巡撫(じゅんぶ)となる。彼は軍事だけでなく民政にも留意し、田賦(でんふ)などは減じたが、その一方で釐金(りきん)(国内関税の一種)をいち早く徴収して財政の基礎を固めることも忘れなかった。曽国藩(そうこくはん)、左宗棠(さそうとう)とともにもっとも大きな功績をあげたが、太平天国から安徽(あんき)を奪還する戦中に没した。死後「文忠」と諡(おくりな)された。『胡文忠公遺集』などの著書がある。[倉橋正直]

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