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胡服 こふく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

胡服
こふく

中国において,北方の匈奴,西方のイラントルコなど漢民族からみた他民族 (胡人) が着た衣服の総称。特定の一民族の衣服をさす言葉ではなく,戦国時代にトルコ民族の衣服から取入れた革帯や唐代に流行したイラン系の服装などをいった。

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デジタル大辞泉の解説

こ‐ふく【×胡服】

中国北方の民族の服装。

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世界大百科事典 第2版の解説

こふく【胡服 hú fú】

胡人の着る服の意。胡人とは,中国の戦国時代に北方辺境で活躍していた匈奴や鮮卑などの遊牧騎馬民族を指し,彼らの着用した筒袖,左衽(さじん)(左前)の上衣にズボンという二部式の衣服を胡服と称した。胡服は騎兵戦に適した服装であった。覇を競う戦国の王国の中で,趙の武霊王が北方の騎馬民族から胡服と騎射の風をとり入れ戦闘力を強化したといわれる。日本でも古墳時代の埴輪の服装にその様式がみられる。胡服は広くユーラシア大陸の内陸部から北方全域に広がり,今日の西洋式服装も源流は胡服に発している。

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大辞林 第三版の解説

こふく【胡服】

中国の北方遊牧民、胡人が着た衣服。筒袖・左衽さじんの上衣とズボンを組み合わせたもの。

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世界大百科事典内の胡服の言及

【襖】より

…古く中国では襖子と書き,日本ではこれを〈あお〉〈あおし〉とよんでいた(《和名抄》)。中国では,これを古代北方民族の胡服(こふく)として用いなかったが,6世紀後半の北斉から一般に用いられるようになり,袷(あわせ)の上衣として,袴(こ)とともに着用した。活動に便利であったため,乗馬や旅行,あるいは日常の衣服として広く用いられていた。…

【ウマ(馬)】より

…それまでの突く直刀から反りのある刀への変化も,前進しつつ切るための当然のくふうであり,半月刀ほどの反りはなくとも,日本刀にも反りが生じている。またズボンと筒袖の上着の普及は,騎乗の普及とともに伝播(でんぱ)し,ゲルマン人やケルト人はもちろん,中国人さえ胡服といって,それを受け入れた。ただ騎馬の出現の歴史的意味は,この程度のことにとどまるものではなかった。…

【襟∥衿】より

…古来,中国漢民族の衣服は右衽,周辺の遊牧民族の衣服は左衽であった。漢民族は左衽の服を胡服すなわち野蛮人の服として軽蔑したが,騎馬の習俗とともに胡服様式を採用すると,これを左衽の袍(ほう)と称し,後には右衽に着るようになった。中国文明の影響下にあった周辺民族の服装も,しだいにこれに倣って左衽から右衽に変化していった。…

【ズボン】より

…地域,民族による素材・形態上の相違はあっても,男がズボンをはく風習そのものは共通し,東北アジア方面では,アルタイ山麓からモンゴル高原を拠点にフン族を介して広まった。中国人はこの服装を〈胡服〉と呼び,朝鮮半島を経て,奈良時代の日本にもその余波が及んだ。唐代中国の女たちにとって,胡服の美姫の乗馬スタイルはあこがれの的であったというから,ズボンは古来男の独占物であったというより,〈馬に乗る人間〉の独占物であったといえよう。…

【服装】より

…ここでは男子は短衣大袴,記紀にいういわゆる衣褌(きぬはかま),女子は衣裳(きぬも)の姿であらわされている。この男子の衣服は,歩行よりも乗馬に適した衣服であり,北方騎馬民族のいわゆる胡服(こふく)系統の衣服である。中国大陸では魏晋南北朝以降,北方騎馬民族の活躍が著しく,中原の王朝の服制にも,下半身にズボンをはく制度が採用されつつあった。…

※「胡服」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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