胡神社(読み)ころくじんじや

日本歴史地名大系 「胡神社」の解説

神社
ころくじんじや

[現在地名]上対馬町琴 琴崎

東の海に大きく突き出たきん崎に鎮座。同所は東岸航路の目標とされ、また聖なる神山として崇敬された。旧村社。琴崎きんざき大明神と称された。祭神は表津少童命・中津少童命・底津少童命および磯武良。「続日本後紀」承和八年(八四一)八月二一日条に対馬島の「胡禄神」とみえ、神階が無位より従五位下になっている。貞観一二年(八七〇)胡禄神・胡禄御子神が正五位下に進んでいる(「三代実録」同年三月五日条)。「延喜式」神名帳には上県郡一六座の一つとして「胡禄コロクノ神社」「胡禄コロクノ御子神社」がみえる。中世にはこの社号はみえないが、永禄一二年(一五六九)「琴崎大明神」の執行を「琴崎大宮司」がこれまでのように勤めるべきこと、神領も先例相違がないことを認められており(同年三月二四日「宗調昌書下」伊奈郡判物写)、当社と考えられる。


胡神社
たごじんじや

[現在地名]西伊豆町田子

田子たご港に面する合之浦あいのうらにある。祭神は積羽八重事代主大神・若宮大神・広幡八幡大神。旧村社。「延喜式」神名帳に載る那賀なかたこ神社(小座)、「伊豆国神階帳」に載る「従四位上多胡明神」に比定される。大田子おおたごには胡神社、井田子いたごには三島明神が祀られていたのを明治九年(一八七六)に合祀し、同一四年に現在地に移し社殿を造営したという。大田子の胡神社は八幡と若宮両方を祀り(増訂豆州志稿)、若宮には文亀三年(一五〇三)六月二八日に「仁科多胡郷住人山本大良右衛門尉」が勧請した棟札が、八幡には天正一三年(一五八五)九月一〇日の棟札が残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報