能護寺(読み)のうごじ

日本歴史地名大系 「能護寺」の解説

能護寺
のうごじ

[現在地名]妻沼町永井太田

小山こやま川が利根川に合流する地点の南岸に位置する。能満山定禅院と号し、高野山真言宗本尊虚空蔵菩薩開山は了珍、一七世の栄智は寛永七年(一六三〇)没と伝える(風土記稿)。慶長一七年(一六一二)の関東八州真言宗連判留書案(醍醐寺文書)に「武州間々田能護寺」とある。寛永一〇年の関東真言宗古義本末帳では間々田ままだ郷に所在し、「事教本寺高野山無量寿院」とあり、末寺六二を数える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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