臨江寺(読み)りんこうじ

日本歴史地名大系 「臨江寺」の解説

臨江寺
りんこうじ

[現在地名]堺市南半町東二丁

旧環濠(土居川)の北、南宗なんしゆう寺の西側に位置する。臨済宗大徳寺派、山号龍興山、本尊聖観音。もと南宗寺山内塔頭で公儀堀に臨むため臨江庵と称した。萩の寺とも通称する。承応元年(一六五二)今井兼続が清厳宗渭を開山として創建した。兼続は豪商今井宗久曾孫で、造営奉行として住吉社(現住吉区)・京都蓮華王院などの造営修補に尽力したことで知られる。また彼は当寺で同三年武野紹鴎の百年忌を修している。清厳は京都大徳寺一七〇世で大徳寺に塔頭高桐こうとう院、南宗寺には当寺とともに徳泉とくせん庵を開いた。また南宗寺一三世となって同寺山門(甘露門)を造営した。


臨江寺
りんこうじ

[現在地名]徳島市南佐古一番町

佐古さこ地区の東端山北麓にある。桃渓山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は聖観音。寺伝によれば慶長一〇年(一六〇五)に明堂によって開かれた曹洞宗牛蒡庵が始まりとされ、寛永二年(一六二五)蜂須賀正勝の室白雲院を弔うために寺として建立され白雲寺と称したという。寛永八―一三年の忠英様御代御山下画図には「白雲軒」と記される。正保三年(一六四六)に没した蜂須賀家政の妹宝珠院は当寺に葬られた(阿淡年表秘録)。このとき寺領二〇石を付され、臨江寺と改められて勝浦かつうら中田ちゆうでん(現小松島市)豊林ほうりん寺から香南が入寺し臨済宗に転じたという(阿波志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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