高知県東部の市。2006年3月赤岡(あかおか),香我美(かがみ),野市(のいち),夜須(やす)の4町と吉川(よしかわ)村が合体して成立した。人口3万3830(2010)。
香南市南東部の旧町。旧香美(かみ)郡所属。人口3324(2005)。土佐湾のほぼ中央に面する。古くは赤岡の市として知られた商業の中心地であった。中央部を香宗川が南流し,沖積地では米作が行われ,海岸沿いの砂丘地ではカンショが栽培される。香宗川河口の赤岡漁港を中心に沿岸漁業が営まれ,特にちりめんじゃこの生産加工が盛ん。面積1.6km2は県下最小の町で,人口密度2162人/km2(2003)は高知市についで高い。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線が通る。
香南市中北東部の旧町。旧香美郡所属。人口6288(2005)。高知平野の東端に位置し,南は土佐湾に面する。町域は北東から南西へ細長くのび,北部の山地では山北ミカンの栽培,香宗川沿岸では稲作や施設園芸が行われる。岸本の海岸は《土佐日記》に記された宇多の松原にあたるが,今は松はない。同じ岸本の月見山は,土御門上皇が月をながめて歌をよんだところという。天満宮の境内に天神の大杉(天)がある。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線が通る。
香南市北西部の旧町。旧香美郡所属。人口1万7759(2005)。物部川下流東岸に位置し,西縁は南国市に接する。町域一帯は中世,宗我(そがべ)郷(香宗我部(こうそがべ)郷),深淵郷と称され,鎌倉初期の地頭中原氏を祖とする香宗我部氏が戦国時代まで勢力をふるい,土居に香宗我部城(香宗土居)跡や同氏の菩提寺宝鏡寺がある。野市は,江戸前期に土佐藩執政野中兼山が長宗我部氏の遺臣を郷士(百人衆郷士)に取り立てて開拓を奨励,在郷町として開けたところ。県下の農業先進地帯で米の二期作や野菜の促成栽培が行われ,現在は施設園芸が盛ん。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線,国道55号線が通り,住宅開発も進み,高知市のベッドタウン化しつつある。亀山は応天門の変に連座して土佐に流された紀夏井(きのなつい)の邸跡と伝え,近くには彼が両親の菩提のために建立したという父養(ぶよう)寺,母代(ぼだい)寺の伝承地がある。また四国八十八ヵ所28番札所の大日寺がある。
香南市東部の旧町。旧香美郡所属。人口4123(2005)。町域は夜須川に沿って北東から南西に細長く,南西は土佐湾に面する。平安時代末期,石清水(いわしみず)八幡宮領夜須荘が置かれ,荘官夜須行家(行宗)は土佐に配流されていた源頼朝の弟希義(まれよし)を援助し,源平合戦にも勲功をたてた。夜須川下流東岸,出口(いでぐち)の城山に,行家の居城という下夜須城(三つ城)址がある。戦国時代以来の手結(てい)港は夜須川河口東岸にあり,手結山と岬によって風波がさえぎられ,古くから避難港として利用されたと考えられるが,堆積する土砂でしばしば使用不能となり,江戸時代前期,土佐藩執政野中兼山や小倉三省により大規模な改修工事が行われた。明治以降もたびたび港の改造工事が繰り返され,現在は漁業基地となっている。米作のほかトマト,キュウリ,サツマイモなどの栽培が行われ,北部山間ではシイタケ,ショウガなどを生産する。海岸沿いに土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線,国道55号線が通る。
香南市南西端の旧村。旧香美郡所属。人口2038(2005)。南流する物部川の河口東岸に位置し,東部には香宗川が流下して,沼沢地や湿田が広がり,水害の多発地帯であった。南は土佐湾に面し,砂丘が連なる。弥生時代後期の住吉砂丘遺跡があり,土器が出土し,貝塚も発見されている。低平な田園地帯で,米の二期作のほか施設園芸が盛ん。ナス,キュウリなどが生産され,砂丘地帯ではサツマイモが栽培される。沿岸では船引網による白子(しらす)漁が行われ,チリメンジャコに加工,出荷され,養鰻業も行われている。海岸沿いを土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線,国道55号線が通じる。
執筆者:萩原 毅
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
高知県中東部に位置する市。2006年(平成18)、香美(かみ)郡赤岡町(あかおかちょう)、香我美町(かがみちょう)、野市町(のいちちょう)、夜須町(やすちょう)、吉川村(よしかわむら)が合併、市制施行して成立。北部は300メートルから600メートルの低山が連なる四国山地の一部で、南部には高知平野が広がり、土佐湾に臨む。西端を物部(ものべ)川、中部を香宗(こうそう)川、東部を夜須川が流れる。海岸に沿って国道55号(土佐浜街道)が走り、土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)が通る。また、南国(なんこく)市の高知空港とは隣接している。
古代には淳仁(じゅんにん)天皇の弟池田親王や、応天門の変の縁座により紀夏井(きのなつい)が流されたと伝え、ゆかりの神社や寺院が残る。中世は大忍(おおさと)荘や山城国石清水(いわしみず)八幡宮領の夜須荘などに含まれた。江戸時代の初期、土佐藩執政野中兼山(のなかけんざん)が物部川の水を引いて灌漑(かんがい)水路を造ったことにより、物部川左岸の台地が開発された。香宗川の河口に近い赤岡では綿織物や製塩業が発達し、また、香宗川流域や物部川上流域を商圏として商業が盛んであった。土佐浜街道に沿って町場を形成し、東に隣接する岸本とともに宿場的な役割も果した。近代にも郡役所が置かれるなど郡の中心であった。
米作のほかトマト、キュウリなどの促成や抑制園芸、ニラ、早掘りサツマイモの栽培が行われる。香我美町地区は海岸から北東の山地に長く伸び、山麓(さんろく)は県下有数のミカン産地で、山間部ではショウガの栽培も盛ん。物部川河口ではウナギの養殖が行われている。夜須川河口の手結内港(ていないこう)は中世からの港であったが、野中兼山の命により小倉三省(さんせい)・岡本平次の指揮で改修された。日本最古級の掘込み港で、現在は沖合漁業の漁港。機械金属系の工場が立地し、工業団地も造成されている。手結住吉県立自然公園、龍河洞(りゅうがどう)県立自然公園に含まれ、県立のいち動物公園、野外劇場「天然色劇場」などがある。大日寺(だいにちじ)は四国八十八か所第28番札所で、国指定重要文化財の木造大日如来坐像・木造聖観音立像を蔵する。天神の大スギは国指定天然記念物、手結のつんつく踊は選択無形民俗文化財。面積126.46平方キロメートル、人口3万2207(2020)。
[編集部]
香川県中部、香川郡にあった旧町名(香南町(ちょう))。現在は高松市(たかまつし)の西部を占める一地区。1956年(昭和31)池西、由佐の2村が合併して成立。2006年(平成18)高松市に編入。香東(こうとう)川中流部の丘陵状の台地と低地からなる。高松市中心部に近く、都市近郊農業が中心。水稲、麦、タバコ、イチゴ栽培のほか、カキの大規模パイロットファームがある。また、牛乳は県下有数の産地。南部の丘陵地に1989年(平成1)開港の高松空港がある。中世の由佐城跡、天福寺、冠纓(かんえい)神社、井原神社、城所山(じょうしょざん)古墳など文化財は多い。
[新見 治]
『『香南町史』(1970・香南町)』
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