自作農創設維持政策(読み)じさくのうそうせついじせいさく

改訂新版 世界大百科事典 「自作農創設維持政策」の意味・わかりやすい解説

自作農創設維持政策 (じさくのうそうせついじせいさく)

自作農の創設維持を目的として,土地購入を財政的に補助するための政策。第1次大戦後小作争議が盛んとなり,深刻となった小作問題への対応策として登場し,1926年5月21日公布の自作農創設維持補助規則によって開始される。紛争の原因となる小作関係を縮小するため,小作地の自作地化と自作地の維持を目的として,政府が小作農に土地購入資金を低利で融資する政策である。政府は簡易生命保険積立金を自作農創設維持資金として各道府県に融資し,各道府県は年利4分8厘,返済期間24年という低利長期償還で農民に貸与する方式をとった。その後,37年と43年の2度にわたり規則は改正され強化された。しかし,施行後1946年にいたる21年間に及んでも総計36万町歩が自作地化されたにすぎず,この政策の実績は全小作地面積の1割余にとどまった。また1926-36年の第1次自作農創設維持事業をみると,創設農家は概して小作農のうちでも上層農家を対象としており,1戸当り平均創設維持面積は4反4畝にすぎなかった。自作農創設維持事業の結果は,小作農の自作農化ではなく,実際には小作農を自小作農にかえる程度にとどまった。自作業創設維持政策が果たした歴史的役割は,一方地主の土地売逃げの道をひらくとともに,他方では小作争議の指導層を含む小作農上層の土地所有欲をあおりつつ,小作争議の鎮静化をはかるところにあったといわねばならない。

 本格的な自作農創設政策は,第2次大戦後の第2次農地改革によって行われた。この改革により,小作地の8割以上が1950年までに解放された。戦前と戦後の自作農創設維持政策の大きな相違点は,強制譲渡か否かというところにあった。強制譲渡にもとづく農地改革により,日本地主制は解体され,戦後の自作農体制の出発点を形成したが,大量な小土地所有者の創出は,農民の保守化傾向をもたらした。
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百科事典マイペディア 「自作農創設維持政策」の意味・わかりやすい解説

自作農創設維持政策【じさくのうそうせついじせいさく】

小作農の自作農化,自作農の没落防止のための政策。第1次大戦後,小作争議激化に伴ってこの政策が推進された。1922年小作農の土地購入資金を簡易保険積立金から長期低利に融資することが始められ,1926年自作農創設維持補助規則で国の政策として行われ,自作地放棄防止も対策とした。1945年までに29.5万町歩が対象となったが,耕地全体に占める小作地の比率には影響を与えなかった。→農地改革
→関連項目石黒忠篤自作農

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世界大百科事典(旧版)内の自作農創設維持政策の言及

【小作制度】より


[小作問題への対策]
 小作人のもう一つの対抗策は農民組合による小作争議であった。小作問題が社会問題となるにつれて,政府は争議の鎮静のために,一方では小作立法,小作権の一定の承認を構想し,他方では自作農創設維持政策によって小作人に小作地を買い取らせ,また窮乏自作農の小作人への転落を防止することに努めた。前者についていえば,1920年に小作制度調査委員会が設けられ,小作協約や小作組合を含む広い小作法が構想されていた。…

【自作農主義】より

自作農が農地の所有および経営をすることが最も望ましい農業の形態であるとする考え方。この考え方にたつ農業政策が日本で最初に実施されるのは1926年の自作農創設維持補助規則に基づく自作農創設維持政策であり,さらに第2次大戦後の農地改革はこの考え方を徹底させ地主制を解体し広範に自作農を創設した。ついで農地改革の成果を維持する目的で52年に農地法が制定されるが,その第1条において農地はその耕作者みずからが所有することを最も適当であると認めるという法的規定を与えたことにより,自作農主義が戦後農政の基本原則とされることになった。…

※「自作農創設維持政策」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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