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自由将校団 じゆうしょうこうだんFree Officers Corps

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

自由将校団
じゆうしょうこうだん
Free Officers Corps

1952年7月 23日にクーデター (→エジプト革命 ) を起してファールーク国王を追放し,エジプトを王制から共和制に移行させた,G.A.ナセル,M.A.サダトら青年将校の革命的政治組織。 1940年代初期 (一説には末期) エジプト軍内部に秘密裏に創設された。 50年1月正式に執行委員会を設け,ナセルを議長に選出し,5~10人単位の細胞組織を通じて軍隊内部に根を広げていった。また国王や政府を攻撃するパンフレットを市民や学生の間に配布し,軍隊の外でも同調者の数をふやす努力が行われた。目標はエジプト社会の改革であったが,そのよって立つイデオロギーは必ずしも明確でなく,指導層にはイスラム教根本主義者から社会主義者,共産主義者にいたるまで,さまざまな政治的信条をもつものが混在していた。なお 52年7月のクーデター成功とともに,自由将校団執行委員会は革命委員会へと発展的に解消した。

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世界大百科事典内の自由将校団の言及

【エジプト】より

… 都市化の進展は大衆の伝統的な生活秩序を崩壊させていったが,それは1930年代の世界恐慌による生活苦とあいまって,人びとに伝統的価値の崩壊の危機感をかもし,イスラムやアラブの覚醒をシンボルとする民族革命運動を激化させた。1929年から第2次世界大戦中にかけて100万以上もの人びとを組織したムスリム同胞団や,39年にナーセルら青年将校の結成した自由将校団は,大戦後に大きな役割を演じることとなる。大衆運動の高揚を背景に,1936年ワフド党のナッハース・パシャ内閣はイギリスとの同盟条約によってエジプトの地位を改善したが,スエズ運河地帯の駐兵は続き,スーダンの地位も変わらなかった。…

【エジプト革命】より

ナーセルサーダート等の自由将校団を中心として1952年7月におきたエジプトの独立運動。エジプトはすでに1922年に独立国となっていたが,この独立は植民地宗主国イギリスにより形式的に付与されたものにほかならず,軍事・外交権の欠除はもちろん,国内でやっと確立された立憲君主制も,エジプト人とは関係のない従来どおりのアルバニア出身のムハンマド・アリー朝を追認したものでしかなかった。…

【ナーセル】より

…伝統的エリートの家の出ではなく,上エジプトの郵便局員の家に生まれ,早くから反英民族運動に加わり,1938年陸軍士官学校を卒業,48‐49年のパレスティナ戦争(第1次中東戦争)において前線指揮官として勇名を馳せた。48年ころからひそかに結成された自由将校団Ḍubbāṭ al‐Aḥrārの中心人物となり,パレスティナ戦争のなかで真の戦線は国内の革命にあることを知った。52年7月エジプト革命において自由将校団を率いて指導的役割を果たし,54年ナギーブ大統領失脚後,首相兼革命軍事会議議長となり(56年大統領就任),名実ともに革命指導の最高責任者となった。…

※「自由将校団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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