ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「自由将校団」の意味・わかりやすい解説
自由将校団
じゆうしょうこうだん
Free Officers Corps
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1952年にエジプト革命を起こした青年将校の秘密組織。第1次中東戦争の従軍経験から,王政の腐敗こそ敗戦の原因,諸悪の根源と確信するに至り,決起した。決起にあたってはナギブを名目的に担いだものの,真の指導者はナセル。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
… 都市化の進展は大衆の伝統的な生活秩序を崩壊させていったが,それは1930年代の世界恐慌による生活苦とあいまって,人びとに伝統的価値の崩壊の危機感をかもし,イスラムやアラブの覚醒をシンボルとする民族革命運動を激化させた。1929年から第2次世界大戦中にかけて100万以上もの人びとを組織したムスリム同胞団や,39年にナーセルら青年将校の結成した自由将校団は,大戦後に大きな役割を演じることとなる。大衆運動の高揚を背景に,1936年ワフド党のナッハース・パシャ内閣はイギリスとの同盟条約によってエジプトの地位を改善したが,スエズ運河地帯の駐兵は続き,スーダンの地位も変わらなかった。…
…ナーセル,サーダート等の自由将校団を中心として1952年7月におきたエジプトの独立運動。エジプトはすでに1922年に独立国となっていたが,この独立は植民地宗主国イギリスにより形式的に付与されたものにほかならず,軍事・外交権の欠除はもちろん,国内でやっと確立された立憲君主制も,エジプト人とは関係のない従来どおりのアルバニア出身のムハンマド・アリー朝を追認したものでしかなかった。…
…伝統的エリートの家の出ではなく,上エジプトの郵便局員の家に生まれ,早くから反英民族運動に加わり,1938年陸軍士官学校を卒業,48‐49年のパレスティナ戦争(第1次中東戦争)において前線指揮官として勇名を馳せた。48年ころからひそかに結成された自由将校団Ḍubbāṭ al‐Aḥrārの中心人物となり,パレスティナ戦争のなかで真の戦線は国内の革命にあることを知った。52年7月エジプト革命において自由将校団を率いて指導的役割を果たし,54年ナギーブ大統領失脚後,首相兼革命軍事会議議長となり(56年大統領就任),名実ともに革命指導の最高責任者となった。…
※「自由将校団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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