朝日日本歴史人物事典 「船越衛」の解説
船越衛
生年:天保11.11.(1840)
明治時代の官僚,政治家。旧広島藩士。幕末期,大村益次郎について兵学を学んだ。明治1(1868)年徴士として江戸府判事に任官,つづいて東北遊撃軍副参謀として戊辰戦争に参加した。2年兵部権大丞に任官,大丞に進み,5年2月軍制改革にともない陸軍大丞となったが,6年8月,依願免官となる。前年12月に起きた山城屋和助割腹事件に際して発覚した陸軍省汚職問題で,陸軍大輔山県有朋をかばっての辞職であったとされる。後年,長子・光之丞が山県の2女松子を妻に迎えている。7年1月内務省に転じ,戸籍権頭,内務権大丞,戸籍局長を経て,13年千葉県令,19年千葉県知事,23年石川県知事,24年宮城県知事を歴任。21年元老院議官。27年貴族院議員。29年男爵。43年枢密顧問官に就任。<参考文献>手島益雄『男爵船越衛伝』
(西尾林太郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報