艾思奇(読み)がいしき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「艾思奇」の意味・わかりやすい解説

艾思奇
がいしき / アイスーチー
(1910―1966)

中国の哲学者、マルクス主義理論家。本名は李生萱(りせいけん)。雲南(うんなん)省騰冲(とうちゅう)県出身。香港(ホンコン)・昆明(こんめい)などで学んだのち、日本に留学。1931年帰国後、雑誌『読書生活』の編集をしながら、新啓蒙(けいもう)運動のなかで活躍し、『大衆哲学』(1934~1935)ほか多数の論文を書き、史的唯物論の普及に努めた。解放後はさまざまの要職につきながら、胡適(こてき)、梁漱溟(りょうそうめい)、楊献珍(ようけんちん)(1896―1992)批判などで活躍したが、1966年3月22日病没した。没後『艾思奇文集』(人民出版社)が刊行された。

[伊東昭雄]

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改訂新版 世界大百科事典 「艾思奇」の意味・わかりやすい解説

艾思奇 (がいしき)
Ài Sī qí
生没年:1910-66

中国の思想家雲南省出身。マルクス=レーニン主義理論家として著名。日本留学のあと帰国し,1930年代の新啓蒙運動の中心として頭角をあらわした。抗日戦中の1937年延安に行き,《解放日報》副主筆をつとめ,中華人民共和国成立後は中央高級党学校副校長,中国哲学会副主席であった。著書に《理論と実践》《大衆哲学》などがある。64年11月高級党学校長楊献珍の〈2が合して1となる〉論を批判。〈1がわかれて2となる〉のが唯物弁証法本質であることを主張した。
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百科事典マイペディア 「艾思奇」の意味・わかりやすい解説

艾思奇【がいしき】

中国の思想家,マルクス=レーニン主義理論家。雲南省生れ。抗日・救国を訴えた1930年代後半の新啓蒙運動の中心的存在。抗日戦争中は《解放日報》副主筆,中華人民共和国成立後は中央高級党学校副校長,中国哲学会副主席。著書《理論と実践》《大衆哲学》など。

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